『いきなりBAN・BANのっTV』1988年放送リスト

福島中央テレビ(FCT)『いきなりBAN・BANのっTV』

 

1988年4月16日~1991年3月30日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。同日の深夜に再放送あり(当日の番組編成によって変動はあるが、当初は基本的に25時30分から。1989年10月15日以降は25時5分から)。

FCTが土曜日の夕方に初めて放送した自社制作の情報番組である。前身は、1985年4月から土曜日の朝に放送されていた音楽番組『ポップスQ』で、この番組で行われた中継やライブ、長期休暇中のスペシャル版といった取り組みが、この『のっTV』へと繋がったとされる。

出演者はロックバンド「ストリート・ダンサー」のメンバーである粋成浩児、三浦貝願、アミーゴ中村。そして、女性アナウンサーの菅野浩子と河辺美佳である。

ストリート・ダンサーは、明石家さんまが出演したスクーターのCMソング「サイテー男にご用心!!」や関西テレビKTV)『上海紅鯨団が行く』のエンディング曲「渚のCCC」などで知られるロックバンドである。FCTには『ポップスQ』の後期にほぼレギュラー出演といっていいほどの頻度で出演しており、その縁があっての起用とみられる。ただし、本来のメンバーのひとりである及出泰(2023年現在、北海道でラジオパーソナリティとして知られる「YASU」の旧名)は『のっTV』には出演していない。

菅野は、『ポップスQ』でもMCを務めていたほか、同時期の日曜日に放送していた『サンデー8』『浩子のこいきな日曜日』といった番組にも出演するなど、1980年代から90年代前半にかけてFCTで活動していたアナウンサーである。

河辺については、詳しい来歴などは不明。2023年現在、表立った活動はしていないようである。この番組には、当初アシスタントとしての出演であった。

この他に、番組開始当初は、『ポップスQ』で菅野と共にMCを務めていたフリーアナウンサーのとよだきしこ(豊田規柴子)も、東京の最新情報を伝える「東京なんでもグラフィティ」などのコーナー担当として出演していたようだ(『福島民報』1988年4月16日付朝刊22面掲載の番宣広告より)が、ほどなくして降板している模様。

番組としては、ファッションや音楽、ビデオなどの情報コーナーを設けたり、県内各所からの中継を行うなど、若者向けの情報番組の体裁をとってはいたが、前身の『ポップスQ』の内容を引き継いだ歌のゲストを招く音楽番組としての面や、MC陣が県内の高校を訪れ各部活動に密着取材するなどといったバラエティ番組的な面も持っていた。

看板企画は、高校の部活動(大学の部活動に取材した回も何度かある)に密着する「飛び出せ!ヒーロー&ヒロイン」のコーナーであった。取り上げられる部活動は運動部が多いが、茶道部や珠算部が登場する回もあるなど、スポーツ一辺倒なものではなかったようだ。

取材を主に担当した粋成のコメントによると、開始当初はロックバンドのメンバーが高校で取材させてもらえるとは考えられなかったというが、番組が高校生たちの間に定着するにつれ、各校で歓迎されることばかりになったという。この取材活動は、高校生たちだけでなく教育関係者たちにも受け入れられていたようで、ついには三浦と共に県南地方の生活指導の教員を対象にした講演会に招かれ、「テレビを通して見た高校生気質」について本職の教員たちを前に講演するまでに至った。

その他、番組に送られたハガキの中から選び出した放送当日に誕生日を迎える視聴者を、出演者の生歌と演奏で祝う「HAPPY BIRTHDAY お歌のプレゼント」のコーナー、三浦貝願がハガキを送ってきた視聴者の受験合格などを祈願する「貝様神社」のコーナーなどがあり、前述の「ヒーロー&ヒロイン」のコーナーとともに、高校生を中心とした視聴者に支持された。

 

第1回:1988年4月16日「(表記なし)」

第2回:1988年4月23日「のっTVインタビュー ほか」

「とび出せヒーロー&ヒロイン」は日大東北高校・バドミントン部と福島西女子高校・居合部を紹介。「生中継おじゃカメが行く」は「ブックプラザ油屋南町店」から送る。

第3回:1988年4月30日「生中継・おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」はふくしま輸入博会場から。「飛び出せヒーロー&ヒロイン」は郡山女子大付属高校の新体操部。また、スタジオゲストにはMINNIEを迎える。

第4回:1988年5月7日「生中継おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」は福島北高グラウンド。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山高校吹奏楽部を紹介。

第5回:1988年5月14日「生中継おじゃカメが行く」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は学法石川高校ハンドボール部。「生中継おじゃカメが行く」は郡山市の見聞録から。

第6回:1988年5月21日「キャディラックライブ」

きょうはキャディラックのライブを中心に送る。また「生中継おじゃカメが行く」は福島市コルニエツタヤのオリエンタルレコードから。

第7回:1988年5月28日「おじゃカメが行く」

ゲストは、元クワタバンドのギタリスト河内淳一さん。「生中継おじゃカメが行く」は福島市アミューズパークから。

第8回:1988年6月4日「東京なんでもグラフィティー

「生中継おじゃカメが行く」と「ヒーロー&ヒロイン」は日本女子工業高校トランポリン部。また、一日郡山市中町中央通りパート2前行われた、ストリートダンサーのライブを紹介する。

第9回:1988年6月11日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「ヒーロー&ヒロイン」は安積高校応援部。「生中継おじゃカメが行く」は東北歯科大学の学園祭会場から。

第10回:1988年6月18日「生中継おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」と「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、清陵情報高校から。ゲストは山下久美子

第11回:1988年6月25日「生中継おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」は郡山駅ビル・サンシティから生中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は須賀川女子高校バスケット部。

第12回:1988年7月2日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、若松商業高校男子バレーボール部。「生中継おじゃカメが行く」は、福島市すずらん通りにあるビアパブBANBANから。

第13回:1988年7月9日「生中継おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」は昭和自動車学校から生中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島商業高校フェンシング部から。

第14回:1988年7月16日「生中継おじゃカメが行く」

「生中継おじゃカメが行く」は安積女子高校・放送部から。「とびだせヒーロー&ヒロイン」はいわき高校・ラグビー部。

第15回:1988年7月23日「生中継"おじゃカメ" ほか」

「生中継おじゃカメが行く」は安積高校吹奏楽部。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は会津女子高校体操部から。

第16回:1988年7月30日「生中継”おじゃカメ” ほか」

「生中継おじゃカメが行く」は会津若松市メガネスーパーから。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は喜多方女子高校ソフトボール部。

第17回:1988年8月6日「生中継おじゃカメ・鶴ヶ城」※再放送休止

第18回:1988年8月13日「郡山駅ビルから全中継」

きょうは郡山駅ビル・サンシティから送る。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は安達高校テニス部。そのほかビデオレンタルクリーンヒットベスト5など。

番外「いきなりBANBANのっTVビッグワイド」:1988年8月20日(14時~16時)「▷おじゃカメ▷ヒーロー&ヒロインNG編・総集編▷手品少年▷アンコール・アンコール」

第19回:1988年8月20日「▷生中継おじゃカメ ほか」

「生中継おじゃカメが行く」はアメリカ村アークから。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は白河高校野球部から送る。

第20回:1988年9月3日「▷生中継おじゃカメ ほか」

「生中継おじゃカメが行く」は田村高校の仮装行列と開成山球場で行われたプロ野球イースタンリーグを放送。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は安積高校・バレー部から。

第21回:1988年9月10日「ヒーロー&ヒロイン ほか」※再放送休止

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は須賀川高校女子ハンドボール部。そのほか「学園祭・体育祭特集」として福島高校、田村高校、安積高校から中継。

第22回:1988年9月17日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「生中継おじゃカメが行く」は郡山西武の特設会場から、キャビンレーシングチームを迎えて送る。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は日大東北高校水泳部から。

第23回:1988年9月24日「ストリートダンサー」

第24回:1988年10月1日「ストリートダンサー」

第25回:1988年10月8日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「飛びだせヒーロー&ヒロイン」は平工業高校サッカー部。「いきなり高校ウォッチング」は平商業高校体育祭から。

第26回:1988年10月15日「ストリートダンサー」

郡山市桑野にある"見聞録"から中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は学法福島高校から。「いきなり高校ウォッチング」は平商業高校体育部。

第27回:1988年10月22日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島農蚕高校馬術部。その他、日本女子工業高校と郡山女子大学付属高校から中継で送る。

第28回:1988年10月29日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山商業高校卓球部、「いきなり高校ウォッチング」は川俣高校と郡山女子高校から中継。また、「生中継おじゃカメが行く」は郡山うすいで行われている中国物産展から送る。

第29回:1988年11月5日「いきなり高校ウオッチング」

第30回:1988年11月12日「ゲスト・村井麻理子」

第31回:1988年11月19日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島高校・ジャズ研究部から。「いきなり高校ウォッチング」は東白川農商高校・東光祭から。

第32回:1988年11月26日「ストリートダンサー」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、帝京安積高校ハンドボール部。「いきなり高校ウォッチング」は福島工業高等専門学校と四倉高校から。

第33回:1988年12月3日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は遠野高校。「いきなり高校ウォッチング」は浪江高校の学園祭から。また、「生中継おじゃカメが行く」は福島ルミネから送る。

第34回:1988年12月10日「郡山駅ビルから全中継」

第35回:1988年12月17日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせ!ヒーロー&ヒロイン」は東北歯科大学・アメリカンフットボール部から、「いきなり高校ウォッチング」は福島東高校の運動会を紹介する。

番外「クリスマスINいきなりBANBANのっTV」:1988年12月24日(14時30分~16時)「ヒーロー&ヒロイン総集編Ⅰ・Ⅱ ほか」

クリスマス特集として各コーナーの総集編を送る。その他、十八日に福島ルミネネクストホールで行われたストリートダンサーの熱気あふれるライブの模様も放送。

第36回:1988年12月24日「ヒーロー&ヒロインNG編」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は二本松工業高校・男子バレーボール部、「生中継おじゃカメが行く」は郡山市開成にある"ビオット"から送る。

第37回:1988年12月31日(17時~18時)「とびだせヒーロー&ヒロイン ほか」※再放送休止

第38回:1989年1月7日「ストリートダンサー」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山高校・サッカー部、「東京情報」は吉祥寺から送る。

第39回:1989年1月14日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山高校・サッカー部、「生中継"おじゃカメ"が行く」は郡山駅献血ルームから送る。

第40回:1989年1月21日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

第41回:1989年1月28日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は県立石川高校・男子バレー部。「東京なんでもグラフティ」は原宿から送る。

第42回:1989年2月4日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島北高校・合唱部。「東京なんでもグラフティ」は原宿から送る。

第43回:1989年2月11日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は矢吹高校剣道部から。また、十四日のバレンタインデーにちなんで「バレンタイン特集」を送る。

第44回:1989年2月18日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、郡山女子高校バスケット部。「生中継おじゃカメが行く」は福島市の市民ギャラリーから送る。

第45回:1989年2月25日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は若松女子高校茶道部。その他、安比高原スキー場特集を送る。

第46回:1989年3月4日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

第46回:1989年3月11日「"おじゃカメ"が行く ほか」

「とびだせ!ヒーロー&ヒロイン」は磐城高校・バスケット部、「生中継おじゃカメが行く」は郡山駅ビルサンシティから送る。

第47回:1989年3月18日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせ!ヒーロー&ヒロイン」は須賀川女子高校バレー部、「生中継おじゃカメが行く」は郡山市桑野の「見聞録」から。

第48回:1989年3月25日「ヒーロー&ヒロイン ほか」

「とびだせヒーロー&ヒロイン」は学法石川高校ソフトボール部から。その他、東京情報などを送る。

 

【備考】

第1回は福島民報ラ・テ欄には内容の記載がないが、番組最終回での回想によると、「飛び出せ!ヒーロー&ヒロイン」で安積高校ラグビー部を取材しているという。その最終回でも、再び安積高校ラグビー部を訪れている。

第9回の生中継で訪れた「東北歯科大学」は、現在の奥羽大学のことである。翌1989年4月に文学部が設置され、校名が変更された。なお、奥羽大学文学部は現在廃止されている。この東北歯科大学以外にも、この放送リストには、男女共学化や統合などの影響で校名が変更されている高校が多数掲載されている。

第11回などの中継で訪れている郡山駅ビル「サンシティ」(現在のS-PAL郡山)は、この番組のスポンサーでもあった。最終回での出演者の回想によると、FCT本社スタジオ以外では最も多く放送を行った場所であるという。

第16回で訪れているメガネスーパーも、番組スポンサーの一社である。そのほか福島スバル自動車もスポンサーの一社で、この1988年度の放送リストには記載されていないが、同社ショールームからの放送も度々行われている。三浦貝願は番組最終回で「ここに行くとコーヒーが飲めるから好きだった」と述べている。

粋成浩児・三浦貝願と共にMCとして出演していたアミーゴ中村は、第48回をもって降板。同回では「番組卒業」の記念に、粋成・三浦と共に学法石川高校のソフトボール部と親善試合を行った。

なお、中村はこれと共に「ストリート・ダンサー」も脱退したが、『のっTV』にはその後も番組最終回まで度々ゲスト出演した(後期は「中村伸」名義での出演)。

 

【参考文献】

・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム

・『燃えろFCT PARTⅢ 福島中央テレビ20年の歩み』(1989年、福島中央テレビ

 

【2023年8月5日公開】

【2023年8月7・9日加筆】