『輝いて…土曜日』放送リスト
福島中央テレビ(FCT)『輝いて…土曜日』
1993年4月3日~12月25日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。
同時間帯に放送されていた『プラス1ふくしま土曜ワイド』に代わって登場した情報番組である。
出演者はFCTアナウンサーの徳光雅英と鈴木美津子。
徳光は前番組『プラス1ふくしま土曜ワイド』からの続投で、この番組で初めてメインを担当した。
鈴木は、1992年4月にFCTに入社し当時2年目のアナウンサー。のちに退社し、「大場美津子」名義で『たてながHAMA大国ナイト』(テレビ神奈川)や『読売新聞 は~い朝刊』のキャスターを務めた。
番組としては、報道色の強かった『プラス1ふくしま土曜ワイド』からややバラエティ寄りに仕立てた情報番組で、福島県内のあらゆる物事の始まりを取り上げた「ふくしまはじめて物語」や、1995年に開催を控えていた第50回国民体育大会(ふくしま国体)を目指す人々を追った「ふくしま国体への道」、その他「漢字って、こんなカンジ」「うまいもんパレード」「ライブNOW」「なるほどものしりDATA」といったコーナーで構成されていた。
この番組の特筆すべきエピソードといえば、何といっても当時人気絶頂だったとんねるずが出演したことであろう。これについては【備考】を参照。
第1回:1993年4月3日「近くてちかーい国韓国福島はじめて物語」
驚き、疑問にスポットを当て、今を全面に打ち出したバラエティー番組。きょうの特集は福島空港発韓国便。キャスターは徳光雅英と鈴木美津子。
第2回:1993年4月10日(14時~14時50分)「初めて物語元祖公園▷桜の季節限定懐石料理」
第3回:1993年4月17日「インライン・スケート▷飛行機はじめて物語」
日本に上陸以来、若者の間で人気の「インライン・スケート」を特集で。はじめて物語は、ライト兄弟よりも前に、飛行機開発に挑戦した男たちを紹介。
第4回:1993年4月24日「▷連休はディズニーで▷モモ栽培のはじまり」
スケールアップした東京ディズニーランドを紹介。はじめて物語はふくしまの果樹栽培の歴史を。
第5回:1993年5月1日「▷今パチンコが面白い▷英語で料理ステーキ」
若い女性にまでファンが広まったパチンコ人気の秘密を探る。
第6回:1993年5月8日「▷あの白虎隊士も給食を▷連休の疲れをとる」
第7回:1993年5月15日「浜は初夏の味▷ふくしま、すもうのはじまり」
初ガツオ、ウニ、アワビなど、浜の初夏の味を紹介。はじめて物語は、相撲の始まり。また、きょう開幕するJリーグのグッズを扱うお店も紹介する。
第8回:1993年5月22日「▷福岡長崎の旅▷県議会はじめて物語」
福島空港から行く福岡、長崎の旅を特集で。ふくしまはじめて物語は県議会のはじめてを取材。
第9回:1993年5月29日「▷ふくしまのプールのはじまり▷とうふ料理」
第10回:1993年6月5日(14時~14時50分)「特集中国の健康法気功▷コンニャク料理」
さわやかな味覚を求めて矢祭町のこんにゃく料理を紹介する。
第11回:1993年6月12日(14時~14時50分)「▷とんねるず中継リポーターとして出演」
とんねるずが、中継リポーターとして登場する。特集は、カニ殻に含まれ、健康、医療として注目をあびている、キチンキトサンを紹介。
第12回:1993年6月19日「▷ビールを飲んだ会津武士▷中継ビール園 ほか」
第13回:1993年6月26日「▷週末は競馬へ行こう▷競馬はじめて物語」
十九日に福島競馬が開幕した。初めて行く人のための競馬場ガイドを特集する。ほかに福島競馬のはじめて物語、知って得する金利完全自由化などを紹介していく。
第14回:1993年7月3日「三春町ハーブアイランドから中継」
三春町ハーブアイランドから中継。ハーブの楽しみ方のあれこれを伝える。
第15回:1993年7月10日「現代人のリラクゼーション気功を紹介」
現代人のためのリラクゼーション「気功」を紹介。夏バテなど、気力体力が減退ぎみの人におすすめの体操を取り上げる。
第16回:1993年7月17日「夏休みは岩手はいかが▷東北本線のはじめて」
夏休みを前に、輝いて旅情報では岩手県の自然を。「ふくしまはじめて物語」は明治二十年、上野~郡山間に開業した東北本線のはじまりを紹介。
第17回:1993年7月24日「二本松に新名所ふるさと村▷病院のはじまり」
二本松市に、先週オープンした安達ヶ原ふるさと村を中継。ふくしまはじめて物語は、病院のはじまりを紹介する。
第18回:1993年7月31日「▷日本最大級のオートキャンプを常葉町から」
常葉町できょうから三日間行われる日本最大級のキャンプイベント「スターキャンプグラウンズ」の模様を中継で伝え、オートキャンプの魅力を探る。
第19回:1993年8月7日「韓国特集・ヤングフライトコーリアより」
ヤングフライトコーリアに参加した子供たちの目を通して見た、韓国を特集。
第20回:1993年8月14日「パラオの旅サマーフェスティバルインなみえ」
視聴者リポーターによるパラオの旅を紹介。中継は、「サマーフェスティバルインなみえ93」の会場から。
第21回:1993年8月21日「▷パラオ名物海&珍味▷中継24時間テレビ」
第22回:1993年8月28日(14時~14時50分)「福島の歴史再発見雑賀孫一郎▷気功」
第23回:1993年9月4日「▷会津の大地震の記録▷中継温泉の新名所」
第24回:1993年9月11日「▷北海道グルメ旅▷白河藩にいた長寿日本一」
グルメにはたまらない北海道の味をリポート。「はじめて物語」は、白河藩にいた長寿日本一を紹介。
第25回:1993年9月18日「日本最古の自転車から最新自転車まで」
第26回:1993年9月25日「必見・マツタケとサンマのお得な情報」
第27回:1993年10月2日「激辛ラーメン▷日本初自動車専用道は福島に」
舌への刺激が決め手の激辛ラーメンを紹介。「はじめて物語」は、白河―棚倉間にあった日本初の自動車専用道路をリポートする。
第28回:1993年10月9日「▷遊味芸・ふくしまの秋▷福島初の五輪選手」
第29回:1993年10月16日「▷おもしろペット▷現代結婚費用事情」
番組で募集した、おもしろペットの特集をおくる。なるほどものしりDATAでは、気になる結婚費用の金額を探る。
第30回:1993年10月23日「▷ケーキ特集▷気功▷東京モーターショー」
第31回:1993年10月30日「秋の夜の過ごし方ディスコに潜入&天体観測」
秋の夜の過ごし方を提案。最近過熱ぎみのディスコに潜入リポート。
第32回:1993年11月6日「小説の舞台になった福島▷海外旅行の初めて」
第33回:1993年11月13日「▷古くて新しい漆器の魅力▷腰痛にきく気功」
第34回:1993年11月20日(15時30分~16時20分)「日本の湯"銭湯"」
時代の波に押され、減少する昔ながらの銭湯。その現況と良さを探る。
第35回:1993年11月27日「健康食みそを探る▷ロールキャベツみそ風味」
日本の味みそは健康食としても優れている。その効果を探り、みそを使った料理を紹介する。
第36回:1993年12月4日「▷お歳暮アラカルト▷日本酒と料理の相性」
第37回:1993年12月11日「▷交響曲第9番の初演は▷あなたもおでん通」
第38回:1993年12月18日「▷あったか鍋対決▷肩こりと胃もたれのツボ」
第39回(最終回):1993年12月25日「お寺の鐘のはじまり▷お節料理プラス1」
【備考】
第3回ではインラインスケートの特集を行っているが、FCTはそれから間もない6月6日に郡山スケート場で第1回インラインスケート競技会を開催している。この回の特集はこれに合わせたものだろう。なお、競技会の模様は特番として全国10局ネットで放送された(FCTでは6月20日12時から放送)。
第11回には、とんねるずが中継リポーターとして出演した。これは、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』で行われていた「編成教育委員会」のコーナー(テレビ局の編成・制作スタッフの常識や知識を教育し直すいうもの。1993年5月5日放送分)に、『輝いて…土曜日』を担当するFCTのディレクター斎藤裕樹が出場。日本テレビ系列各局のスタッフとクイズで争った結果、斎藤が見事優勝し、その特典であった「とんねるずが優勝者の所属する地方局の番組に出演する」という権利を得たことに端を発する。
この模様は、1993年6月23日の『生ダラ』で「視聴率請け負い人in福島」と題して全国に放送された。以下で記す当日の模様は、ここで放送された内容を元にしてる。
放送当日、新幹線で郡山を訪れたとんねるずは、郡山駅に詰めかけた大勢のファンの歓声に出迎えられた。駅前広場で歓迎セレモニーも予定されていたが、パニック寸前の状況となったため中止となり、2人はそのままFCT入り。ここでも多くの市民やFCT社員たちの熱烈な歓迎を受ける。本社での打ち合わせ(ここでは同行したそのまんま東(現:東国原英夫)から「内容が大変地味。数字は取れるのか?」、木梨憲武からは「台本の読み合わせなんて倉本聰さんのドラマ(注:日本テレビで1990年に放送された『火の用心』のこと)以来」といった声が飛び出した)を経て、中継を行う市内の開成山公園に移動した。
とんねるずは事前に視聴者に対して「フライパンを持って集まれ」と呼びかけていた。その結果、開成山公園にはフライパンを持った視聴者が集結(『生ダラ』での発表によればその数は2万人)。「市内の金物店からフライパンが消えた」という噂が流れるほど(とんねるずを迎えたFCT副社長(当時)の近藤晃朗の発言によると、実際に市内の小売店から「フライパンが全部売り切れた」という電話がFCTに入ったという)の事態となった。なお、なぜフライパンだったのかについては、『生ダラ』の中で福澤朗に理由を問われたもののはぐらかしており、特に意味はなかったようである。
とんねるずが当日番組内で担当したのは「オープニング」「ライブNOW」「天気予報」の3コーナー。
オープニングでは、石橋貴明が『輝いて…土曜日』のOP曲(フォー・シーズンズ「シェリー」)をふざけて歌い、木梨は「砧公園に来ています」とボケるなど、普段のとんねるずのノリ全開でスタート。
メインの「ライブNOW」では、安積女子高校(現:安積黎明高校)の合唱部と共演。「夏の思い出」を歌う合唱部員を背に、『ゆく年くる年』コントを織り交ぜつつ顧問や部員にインタビュー(ふざけた素人イジりが多いが、「全国大会への抱負」のような真面目な質問も一応している)した。最後は観衆の集まるステージに移動した木梨が「ガッチャマンの歌」を歌ったところで中継終了。スタジオにいる徳光と鈴木の困惑した表情を映し、番組はCMとなった。コーナーを終えた石橋は「MCの2人は呆れ返ってるよ。(ワイプで)嫌がってたもん」と苦笑したが、CM中のスタジオでは、石橋の言葉通り徳光と鈴木が呆れ返っていた。
最後の「天気予報」は、ステージで石橋が「デビルタカマンの歌」を歌う隣で、木梨がフリップを持って予報を叫ぶ『歌う天気予報』という趣向で行われた。開成山公園は大歓声に包まれたが、その熱狂ぶりに「天気予報が全然耳に入らなかった…」ということで、改めてスタジオから天気予報を伝えた。その間も会場ではフライパンを振りながら「WE ARE THE CHAMP」の替え歌を全員で歌う大騒ぎが続いた。
最後はそんな会場の様子を見ながら、スタジオの徳光が「24時間テレビでもこんなに(観客は)集まらない」「黙って見るしかない…」と感想を述べたところでエンドマーク。約1時間にわたるとんねるずの『輝いて…土曜日』出演は終了し、ステージを降りた2人は次の仕事のためそのまま東京へと帰っていった。
当時『輝いて…土曜日』の視聴率は平均5.7%、最高6.0%であった。とんねるずはこれを2桁まで押し上げると豪語した。具体的な数字は不明だが、実際にこの回の視聴率は通常よりもかなり上がったという。
なお、徳光の後年の回想によると「『編成教育委員会』の企画でとんねるずが出演した各局の番組は、すべてその次のクールで終了となった」とされる。この『輝いて…土曜日』も例外ではなく、直後ではないものの、その年の内に番組終了となった。ただし、これは単に視聴率的な問題でもなく、翌1994年にスタートする『ゴジてれシャトル』の準備期間を設けるための打ち切りでもあったという。
ちなみに、とんねるずが出演した第11回と、その前週の第10回は、通常とは異なる時間帯に放送されている。これは、15時からJリーグ中継(ヴェルディ川崎戦)が編成されており、その中継の延長を見込んで『輝いて…土曜日』の放送時間を繰り上げたためである。通常『輝いて…土曜日』が放送されている17時台は、日本テレビが当時同時間帯に放送していた『ヒューヒュー』を臨時でネットした。
『輝いて…土曜日』の終了をもって、『いきなりBAN・BANのっTV』から続いたFCTの土曜夕方のローカル情報番組は一旦中断。年が明けた1994年1月15日からの同時間帯は、日本テレビ『TVおじゃマンボウ』の同時ネットに替わった。
その後、1999年4月3日に『おじゃマンボウ』を打ち切ってスタートさせた『ギュ~っとゴジてれ!土曜版』(土曜16時55分~17時56分、のちに『ゴジてれ土曜版』に改題)で、FCTの土曜夕方のローカル情報番組は復活する。この番組は、平日夕方の情報番組『ゴジてれシャトル』のダイジェスト番組で、その週の『ゴジてれ』で放送した特集・コーナーの再放送に、『土曜版』オリジナルのコーナーを織り交ぜて放送した。2023年現在、日曜夕方に放送している『ゴジてれ×Sun!』の前身にあたる番組である。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『FCT写真で綴る30年』(2000年、福島中央テレビ)
・『月刊とうほく財界』第18巻第6号(1992年11月、東日本出版)
・福島中央テレビ公式ウェブサイト 徳光雅英アナウンサー日記(2008年1月28日分、ウェイバックマシン、2023年8月11日閲覧、http://web.archive.org/web/20150924011151/http://www.fct.co.jp/announce/diary/tokumitsu/backnumber_33.html)
【2023年8月11日公開】
【2023年8月12日加筆】
『いきなりBAN・BANのっTV』1990年放送リスト
福島中央テレビ(FCT)『いきなりBAN・BANのっTV』
1988年4月16日~1991年3月30日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。同日の深夜に再放送あり(当日の番組編成によって変動はあるが、1990年4月以降は基本的に25時10分から)。
第102回:1990年4月7日(16時~17時)「ヒーロー&ヒロイン・野球部 ほか」
ヒーロー&ヒロインは学法石川高校・野球部を紹介。
第103回:1990年4月14日「ヒーロー&ヒロイン・棚倉高校サッカー部 ほか」
第104回:1990年4月21日「ゲスト・ラディッシュ&ハローウィンパーティ」
第105回:1990年4月28日「ラディッシュ&ハローウィンパーティ ほか」
第106回:1990年5月6日(スペシャル、日曜日、12時~13時)「輸入博特集」※再放送休止
第107回:1990年5月12日「ゲスト・ロージーロキシーローラー」
第108回:1990年5月19日「粋成浩児 三浦貝願 ほか」
第109回:1990年5月26日「ラディッシュ&ハローウィンパーティー ほか」
第110回:1990年6月2日「粋成浩児 三浦貝願 ほか」
第111回:1990年6月9日「磐梯山慧日寺資料館から全中継 粋成浩児」
第112回:1990年6月16日「ゲスト・レビュー」
ゲストにレビューを迎え、スタジオライブを送る。
第113回:1990年6月23日「サンシティから生中継 粋成浩児 三浦貝願 ほか」
第114回:1990年6月30日「ヒーロー&ヒロイン安達高校・新体操部」
「ヒーロー&ヒロイン」は安達高校新体操部を紹介。ゲストはパンプキンほか。
第115回:1990年7月7日「高校生クイズ東北大会▷ヒーロー&ヒロイン ほか」
一日秋田で行われた、高校生クイズ東北大会を三浦貝願がリポート。
第116回:1990年7月14日「ヒーロー&ヒロイン・会津工業高校弓道部」
第117回:1990年7月21日「ゲスト・ラディッシュ&ハローウィンパーティー」
第118回:1990年7月28日「のっTV林間学校 ウォータークラブ ほか」
ヒーロー&ヒロインは白河実業高校水泳部を紹介する。
第119回:1990年8月4日「ヒーロー&ヒロイン・須賀川高校珠算部 ほか」
きのうのうねめ祭りの踊り流しに参加した、のっTVチームを取材。ヒーロー&ヒロインは須賀川高校珠算部。
第120回:1990年8月11日「ゲスト・彩木美来」
第121回:1990年8月18日「只見高校・野球部」
第122回:1990年8月25日(15時~16時)「貝様の青森弘前リポートパート3」※再放送休止
第122回:1990年9月1日「日大東北高校野球部」※再放送休止
第124回:1990年9月8日「ヒーロー&ヒロイン・須賀川女高校書道部」
第125回:1990年9月15日「保原高校ソフトボール部」
第126回:1990年9月22日「ヒーロー&ヒロイン・安積高校サッカー部」
第127回:1990年9月29日「ラディッシュ&ハロウィンパーティー」
第128回:1990年10月6日「ヒーロー&ヒロイン・成蹊女子高校茶道部」
第129回:1990年10月13日「ヒーロー&ヒロイン・尚志高校女子柔道部」
ヒーロー&ヒロインは尚志高校女子柔道部を紹介。ほかにヤングフェスティバル郡山90から送る。
第130回:1990年10月21日(日曜日、12時~12時50分)「いわき明星大学学園祭中継 ほか」※同日深夜に再放送あり
第131回:1990年10月26日(金曜日、16時~17時)「桜聖母短大文化祭前夜祭▷長沼高校ハンドボール部 ほか」※再放送は10月27日(土)深夜
第132回:1990年11月3日「ヒーロー&ヒロイン・白河実業高校バスケ部」
第133回:1990年11月10日「郡山吹奏楽団」
第134回:1990年11月17日「ゲスト・横道坊主」
第135回:1990年11月24日「ゲスト・ラディッシュ&ハローウィンパーティ」
第136回:1990年12月1日「ドライブテクニック▷日大サーフィン同好会」
第137回:1990年12月8日「サンシティから中継 橘友賀 司会粋成浩児」
第138回:1990年12月15日「ヒーロー&ヒロイン・奥羽大学演劇部」
第139回:1990年12月22日「福島女子短大ハンドベル部▷みのわスキー場」
第140回:1990年12月29日(スペシャル、14時~15時30分)「ヒーロー&ヒロイン総集編・NG編 大須賀ひでき 米森正樹」
第141回:1991年1月5日(新春スペシャル、16時~17時)「大須賀ひでき ほか」
第142回:1991年1月12日「郡山女子大付属高校硬式テニス部 粋成浩児 ほか」
第143回:1991年1月19日「ヒーロー&ヒロイン・棚倉高校剣道部」
第144回:1991年1月26日「ゲスト・花島優子」
第145回:1991年2月2日「県立石川高校ソフトボール部 小室哲哉 ほか」
第146回:1991年2月9日「ゲスト・ビーブライト」
第147回:1991年2月16日「ゲスト・藤野明美」
第148回:1991年2月23日「ゲスト・ラデッシュ&ハローウィンパーティ」
第149回:1991年3月2日「ゲスト・福山雅治」
第150回:1991年3月9日「清陵情報高校卒業式▷卒業のうた第4弾発表」
第151回:1991年3月16日「ハロウィンパーティ ほか」
第152回:1991年3月23日「ゲスト・ラディッシュ&ハロウィンパーティ」
第153回(最終回):1991年3月30日「ゲスト・ラディッシュ&ハロウィンパーティ」
【備考】
第113回は、福島民報ラ・テ欄には記載されていないが、番組最終回の振り返りVTRによると、ゲストとして山口弘美が出演している。また、FCTアナウンサー(当時)の小林典子も出演した。
第118回は「のっTV林間学校」と題して、桧原湖にあるキャンプ場から放送。放送翌日には現地でライブも行われた。
第145回にはTM NETWORKの小室哲哉がゲスト出演。この時のことは最終回でも「存在感があった」「(観覧の)お客さんが凄かった」と振り返られている。なお、小室は祖父が西白河郡中島村の出身で、福島県とは少なからず縁がある。
第149回には福山雅治がゲスト出演。当時は3枚目のシングル「風をさがしてる」をリリースしたばかりの時期で、俳優や歌手として人気を集めるのはまだ少し先のこと。当然ながら、前述の小室とは異なり、最終回でも振り返られていない。2023年現在ではまずあり得ない扱いである。
最終回はスタジオにMC陣4人の他、番組と関わりの深いアミーゴ中村(「中村伸」名義で出演)、キャディラックの米森正樹、ダンガリーブラザーズバンドの宇土正治、Radish、ハロウィンパーティー、ビーブライトが集結。スタジオに入り切らない程の観覧客たちに囲まれながら、「のっTV卒業式」と題して、3年間の振り返りと「飛び出せ!ヒーロー&ヒロイン」など各コーナーの最終回を行った。最後は全員で、視聴者とともにつくった卒業の歌「想い出は宝石箱に」を歌い、3年の歴史に幕を下ろした。
最終回では番組との別れを惜しむ視聴者からのハガキが多数紹介されたが、『のっTV』はこれで完全終了ではなかった。
最終回の中でも予告された通り、翌月の1991年4月28日から開かれた「ふくしま輸入博」(FCTなどが主催したゴールデンウィークのイベント)には、『のっTV』のMC陣が出演。ゲストにもRadishやハロウィンパーティー、ダンガリーブラザーズバンドなど、『のっTV』でお馴染みの顔ぶれが揃い、番組終了から間を置かずに「のっTV同窓会」(番組最終回での粋成のコメント)の開催となった。
その後も、平日夕方のワイド番組『ゴジてれシャトル』がスタートする1994年頃まで、『24時間テレビ』の福島県内のイベントなどで『のっTV』のMC陣が揃う機会が度々あった。『のっTV』は番組終了後も、『ゴジてれ』にその役割を譲るまで、FCTのイメージに大いに貢献し続けたのである。
そのほか、三浦貝願が担当していた洋画ビデオの情報コーナー「THE VIDEO STATION」は、担当者を菅野浩子に代えた上で金曜深夜25時台に5分番組として存続した(1991年4月5日(初回は福島民報ラ・テ欄には「音楽」と記されている)~1994年3月25日)。
『のっTV』終了後の福島中央テレビの同時間帯は、『のっTV』の若者向け番組路線から一転し、平日夕方のニュース番組『NNNニュースプラス1ふくしま』の土曜版『プラス1ふくしま土曜ワイド』となった。『のっTV』最終回では、視聴者からの「ニュースなんか見たくない」というハガキも読まれる事態となった(MC陣からは「そんなこと言わないで…」と窘められている)が、1993年3月まで2年間放送。同年4月からはやや柔らかい方向に舵を切った『輝いて…土曜日』に変わり、同年末まで土曜日夕方のローカルワイド番組は続いた。
レギュラー出演者のその後だが、来歴が不明の河辺美佳以外の3人については以下の通り。
粋成浩児は、その後も福島県内でラジオやテレビに出演(一部で有名な福島放送の『でんきくらげとしびれふぐ』にも出演している)。音楽活動も続けた。さらに郡山市内でフォーク酒場を開き、2023年現在もそのマスターを務めながら、コミュニティFM局の番組に出演している。
三浦貝願は、その後はメディア出演などは行っていないが、郡山市内で沖縄料理店を営んでおり、2023年現在も盛業中のようだ。
菅野浩子は、フリーアナウンサーとして結婚式やイベントなどの司会業を主に行っているようである。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『FCT写真で綴る30年』(2000年、福島中央テレビ)
【2023年8月7日公開】
【2023年8月9・12日加筆】
『いきなりBAN・BANのっTV』1989年放送リスト
福島中央テレビ(FCT)『いきなりBAN・BANのっTV』
1988年4月16日~1991年3月30日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。同日の深夜に再放送あり(当日の番組編成によって変動はあるが、1989年4月以降は基本的に25時25分から)。
第49回:1989年4月1日(スペシャル、16時~17時50分)「▷キャディラックライブ▷全日本モトクロス選手権開幕戦」
テーマソング「青春のあいうえお」を歌うキャディラックをゲストに迎える。「ヒーロー&ヒロイン」は学法石川高校自転車部と安積女子高校合唱部から。その他全日本モトクロス選手権などを送る。
第50回:1989年4月8日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は緑が丘高校体操部、「東京なんでもグラフィティ」は自由ヶ丘にあるテニス用品の専門店"セントクリストファー"から。
第51回:1989年4月15日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせ!ヒーロー&ヒロイン」は郡山女子大附属高校体操部。「東京なんでもグラフティ」は自由ヶ丘から送る。
第52回:1989年4月22日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第53回:1989年4月29日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、白河高校テニス部。その他、東京ディズニーランド特集を送る。
第54回:1989年5月6日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
とびだせヒーロー&ヒロインは、会津高校剣道部。東京なんでもグラフティは、渋谷から送る。
第55回:1989年5月13日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
とびだせヒーロー&ヒロインは、日大工学部ラグビー部。東京なんでもグラフティは渋谷からセサミ・ストリートグッズを紹介する。
第57回:1989年5月27日「福島東高校吹奏楽部 ほか」
第58回:1989年6月3日(スペシャル、17時10分~18時30分)「杜の都仙台ストーリー▷社会人野球▷ウルトラクイズ会津版チャレンジ大会」
「めざせ東京ドーム」のコーナーでは、同仁社野球部を紹介する。
第59回:1989年6月10日(スペシャル、17時10分~18時30分)「▷いきなりのっTV▷ウルトラクイズ」
ヒーロー&ヒロインは、各高校の応援団の活躍を送る。
第60回:1989年6月17日「ストリートダンサー」
とびだせヒーロー&ヒロインは福島西女子高校軟式テニス部を紹介する。
第61回:1989年6月24日「ゲスト・島崎和歌子」
第62回:1989年7月1日「レモンエンジェル ほか」
とびだせヒーロー&ヒロインは内郷高校剣道部を紹介。歌のゲストは、レモンエンジェル。
第63回:1989年7月8日「郡山商業放送部 ほか」
「生中継おじゃカメが行く」は、福島市のアプタから。ヒーロー&ヒロインは郡山商業高校放送部を紹介。
第64回:1989年7月15日「好間高校柔道部 ほか」
とびだせヒーロー&ヒロインは好間高校柔道部を紹介。またゲストにアミーゴ中村を迎える。
第65回:1989年7月22日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
とびだせヒーロー&ヒロインは福島商業高校バスケットボール部を紹介。東京なんでもグラフィティは東京ディズニーランドから。
第66回:1989年7月29日「ストリートダンサー」
とびだせ!ヒーロー&ヒロインは日大東北高校陸上部を紹介。東京なんでもグラフィティは、東京ディズニーランドから送る。
第67回:1989年8月5日「▷西会津高校テニス部」
とびだせヒーロー&ヒロインは西会津高校テニス部を紹介。また東京なんでもグラフィティは東京ディズニーランドから。
第68回:1989年8月12日「▷ヒーロー&ヒロイン」
"おじゃカメが行く"のコーナーは、郡山のライブハウス・ケントスから。またゲストに元横浜銀蝿の翔を迎える。
第69回:1989年8月19日(スペシャル、第1部:16時~17時、第2部:17時10分~18時)「▷似顔絵コンテスト」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は総集編とNG編。また、司会者の粋成浩児の似顔絵コンテストやジェットスキーの話題も。その他、ダンガリーブラザーズバンドのライブを送る。
第70回:1989年8月26日(24時間テレビスペシャル、15時30分~16時50分)「キャディラック ほか」
第71回:1989年9月2日「▷ヒーロー&ヒロイン」
第72回:1989年9月9日「▷ヒーロー&ヒロイン」※再放送休止
いきなり高校ウォッチングは、福島高校梅苑祭と白河女子高校からたち祭から。また、とびだせ!ヒーロー&ヒロインは、帝京安積高校サッカー部を紹介。
第73回:1989年9月16日「▷ヒーロー&ヒロイン」※再放送休止
第74回:1989年9月23日「文化祭特集▷会津女子高校文化祭」
第75回:1989年9月30日「ヒーロー&ヒロイン・学法福島高校軟式テニス部」
ヒーロー&ヒロインは学法福島高校軟式テニス部を紹介。また東京なんでもグラフィティは鎌倉から送る。
第76回:1989年10月7日「いきなり高校ウオッチング・須賀川女子高校」
いきなり高校ウォッチングは須賀川女子高校文化祭から。ヒーロー&ヒロインは福島高校将棋部を紹介する。
第77回:1989年10月14日「高校ウォッチング福島南高校文化祭 ほか」
高校ウォッチングは福島南高校文化祭から。
第78回:1989年10月21日「日大東北高校陸上競技大会▷ロードレース15戦」
第79回:1989年10月28日「福島西女子高校駅伝大会▷安達高校まゆみ祭 ほか」
福島西女子高校の駅伝大会、安達高校の「まゆみ祭」などを送る。また、福島市の「アプタ」からの中継も。
第80回:1989年11月3日(金曜日、17時10分~18時)「ヒーロー&ヒロイン・若松商業高校バスケ部」※再放送は11月4日(土)深夜
第81回:1989年11月11日「福島工業高校ハンドボール部▷ロードレース ほか」
ヒーロー&ヒロインは福島工業高校ハンドボール部を紹介。また全日本ロードレース選手権の模様を送る。
第82回:1989年11月18日「ヒーロー&ヒロイン・湯本高校吹奏楽部 ほか」
第83回:1989年11月25日「ヒーロー&ヒロイン・小野高校女子バレー部」
ゲストに「ラディッシュ」を迎えて送る。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は小野高校女子バレー部。
第84回:1989年12月2日「ヒーロー&ヒロイン・郡山北工業高校剣道部」
とびだせ!ヒーロー&ヒロインは郡山北工業高校剣道部を紹介。また福島スバル自動車郡山ショールーム"カートピア"から送る。
第85回:1989年12月9日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第86回:1989年12月16日「とびだせヒーロー&ヒロイン日大東北高体操部」
とびだせ!ヒーロー&ヒロインは日大東北高校体操部を紹介。
第87回:1989年12月23日「とびだせヒーロー&ヒロイン白河高校卓球部」※再放送休止
番外「のっTV豪華BANBANクリスマスイブ・夜明けまで生放送」:1989年12月23日(25時5分~終了時刻不明)
県内七つの大学から若者が集い、スタジオライブ・トーク、プロモーションビデオ特集などを楽しくすすめる。ゲストにダンガリーブラザースバンド、スリックス、ブロークンチェックほかを迎える。
第88回:1989年12月30日(スペシャル、16時30分~18時)「ヒーロー&ヒロイン総集編・NG編▷スキー場情報 ほか」
第89回:1990年1月6日(16時30分~17時30分)「ストリートダンサー ほか」
第90回:1990年1月13日「ゲスト・大須賀ひでき」
アプタ福島店から中継する。また歌のゲストに大須賀ひできを迎える。
第91回:1990年1月20日「郡山商業高校管弦楽部定期演奏会 レイダース」
第92回:1990年1月27日「ヒーロー&ヒロイン緑が丘高校ハンドボール部」
第93回:1990年2月3日「会津若松ザベリオ学園バドミントン部 ほか」
ヒーロー&ヒロインは会津若松ザベリオ学園バドミントン部を紹介。また話題のペンション情報を送る。
第94回:1990年2月10日「県立工業高校アイススケート部▷バレンタイン」
ヒーロー&ヒロインは県立工業高校アイススケート部。「おじゃカメが行く」のコーナーは、猪苗代スキー場から。
第95回:1990年2月17日「ヒーロー&ヒロイン・アイスホッケー部 ほか」
ヒーロー&ヒロインは日大東北高校アイスホッケー部を紹介。
第96回:1990年2月24日「ヒーロー&ヒロイン湖南高校野球部 ほか」
ヒーロー&ヒロインは湖南高校野球部を紹介。
第97回:1990年3月3日「ヒーロー&ヒロイン・磐城第1高校剣道部 ほか」
ヒーロー&ヒロインは磐城第一高校剣道部を紹介する。
第98回:1990年3月10日「ヒーロー&ヒロイン・長沼高校硬式テニス部」
ヒーロー&ヒロインは長沼高校・硬式テニス部を紹介。
第99回:1990年3月17日「ヒーロー&ヒロイン聖光学院柔道部▷卒業式 ほか」
第100回:1990年3月24日「ヒーロー&ヒロイン帝京安積高校卓球部 ほか」※再放送休止
番外「のっTV豪華BANBAN春休み・夜明けまで生放送」:1990年3月24日(25時5分~終了時刻不明)「米森正樹 ほか」
ゲストは米森正樹、大須賀ひできを迎える。正樹、浩児、貝様のセッションがみもの。また、「大人版ヒーロー&ヒロイン」と題して日大ボディビル部、ダンス研究会、ハーレーダビッドソンクラブ、東和町いなほ陸友会のみなさんが登場する。
第101回:1990年3月31日「卒業のうた第3弾東京ディズニーランドツアー」
【備考】
第49回は、FCT新スタジオ完成記念のスペシャル版である。FCTは開局20周年を迎えたこの年、それまでの社屋の北側に新館を建設。その中に新たに広さ70.4坪の「Kスタジオ」を設けた。『のっTV』の放送もこの回から、従来のスタジオ(「Nスタジオ」と呼称される25.4坪のスタジオ)から「Kスタジオ」へ移動。その広さを活かして、スタジオ内に観覧客を入れるようになった。
また同回からは、前週で番組を降板したアミーゴ中村に代わり、それまでアシスタントとして出演していた河辺美佳がMC陣に昇格となった。なお中村は、別項での記述通り降板後も度々ゲスト出演しており、例えば第64回に出演していることが上記リストからもわかる。
第61回にはゲストとして島崎和歌子が出演しているが、島崎は当時、この回の放送を行った郡山駅ビル「サンシティ」(現在のS-PAL郡山)のイメージキャラクターを務めていた。サンシティはこの当時、それまで館内にあった噴水広場を「サンシティシアター」にリニューアル。それを記念し、イメージキャラクターの島崎を招いた番組の生放送を「サンシティシアター」から行ったのである。なお、島崎は放送翌日の6月25日にも同所でミニコンサートを開いている。
1989年12月23日と1990年3月24日には、深夜に『夜明けまで生放送』と題したスペシャル版を放送している。上記リストで「終了時刻不明」としているのは、『福島民報』の同日付朝刊ラ・テ欄には当日の放送終了時刻が記載されておらず、資料からは終了時刻を確認できないためである。終夜放送で放送されていたのであれば、翌朝の番組の開始時刻から推定して、12月23日は翌24日6時15分まで、3月24日は翌25日6時15分までの放送である。
ちなみに、1990年3月24日の『夜明けまで』スペシャルの裏では、テレビユー福島(TUF)が自社制作の音楽番組『TUFサウンドピーチ』のオールナイト電リクスペシャルを放送している(1990年3月24日24時30分~25日6時20分。こちらは『福島民報』にも終了時刻がこの通りに記載されている)。2023年現在ではもう見られないであろう、ローカル深夜番組のオールナイト特番対決が行われていたのである。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『燃えろFCT PARTⅢ 福島中央テレビ20年の歩み』(1989年、福島中央テレビ)
【2023年8月7日公開】
『いきなりBAN・BANのっTV』1988年放送リスト
福島中央テレビ(FCT)『いきなりBAN・BANのっTV』
1988年4月16日~1991年3月30日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。同日の深夜に再放送あり(当日の番組編成によって変動はあるが、当初は基本的に25時30分から。1989年10月15日以降は25時5分から)。
FCTが土曜日の夕方に初めて放送した自社制作の情報番組である。前身は、1985年4月から土曜日の朝に放送されていた音楽番組『ポップスQ』で、この番組で行われた中継やライブ、長期休暇中のスペシャル版といった取り組みが、この『のっTV』へと繋がったとされる。
出演者はロックバンド「ストリート・ダンサー」のメンバーである粋成浩児、三浦貝願、アミーゴ中村。そして、女性アナウンサーの菅野浩子と河辺美佳である。
ストリート・ダンサーは、明石家さんまが出演したスクーターのCMソング「サイテー男にご用心!!」や関西テレビ(KTV)『上海紅鯨団が行く』のエンディング曲「渚のCCC」などで知られるロックバンドである。FCTには『ポップスQ』の後期にほぼレギュラー出演といっていいほどの頻度で出演しており、その縁があっての起用とみられる。ただし、本来のメンバーのひとりである及出泰(2023年現在、北海道でラジオパーソナリティとして知られる「YASU」の旧名)は『のっTV』には出演していない。
菅野は、『ポップスQ』でもMCを務めていたほか、同時期の日曜日に放送していた『サンデー8』『浩子のこいきな日曜日』といった番組にも出演するなど、1980年代から90年代前半にかけてFCTで活動していたアナウンサーである。
河辺については、詳しい来歴などは不明。2023年現在、表立った活動はしていないようである。この番組には、当初アシスタントとしての出演であった。
この他に、番組開始当初は、『ポップスQ』で菅野と共にMCを務めていたフリーアナウンサーのとよだきしこ(豊田規柴子)も、東京の最新情報を伝える「東京なんでもグラフィティ」などのコーナー担当として出演していたようだ(『福島民報』1988年4月16日付朝刊22面掲載の番宣広告より)が、ほどなくして降板している模様。
番組としては、ファッションや音楽、ビデオなどの情報コーナーを設けたり、県内各所からの中継を行うなど、若者向けの情報番組の体裁をとってはいたが、前身の『ポップスQ』の内容を引き継いだ歌のゲストを招く音楽番組としての面や、MC陣が県内の高校を訪れ各部活動に密着取材するなどといったバラエティ番組的な面も持っていた。
看板企画は、高校の部活動(大学の部活動に取材した回も何度かある)に密着する「飛び出せ!ヒーロー&ヒロイン」のコーナーであった。取り上げられる部活動は運動部が多いが、茶道部や珠算部が登場する回もあるなど、スポーツ一辺倒なものではなかったようだ。
取材を主に担当した粋成のコメントによると、開始当初はロックバンドのメンバーが高校で取材させてもらえるとは考えられなかったというが、番組が高校生たちの間に定着するにつれ、各校で歓迎されることばかりになったという。この取材活動は、高校生たちだけでなく教育関係者たちにも受け入れられていたようで、ついには三浦と共に県南地方の生活指導の教員を対象にした講演会に招かれ、「テレビを通して見た高校生気質」について本職の教員たちを前に講演するまでに至った。
その他、番組に送られたハガキの中から選び出した放送当日に誕生日を迎える視聴者を、出演者の生歌と演奏で祝う「HAPPY BIRTHDAY お歌のプレゼント」のコーナー、三浦貝願がハガキを送ってきた視聴者の受験合格などを祈願する「貝様神社」のコーナーなどがあり、前述の「ヒーロー&ヒロイン」のコーナーとともに、高校生を中心とした視聴者に支持された。
第1回:1988年4月16日「(表記なし)」
第2回:1988年4月23日「のっTVインタビュー ほか」
「とび出せヒーロー&ヒロイン」は日大東北高校・バドミントン部と福島西女子高校・居合部を紹介。「生中継おじゃカメが行く」は「ブックプラザ油屋南町店」から送る。
第3回:1988年4月30日「生中継・おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」はふくしま輸入博会場から。「飛び出せヒーロー&ヒロイン」は郡山女子大付属高校の新体操部。また、スタジオゲストにはMINNIEを迎える。
第4回:1988年5月7日「生中継おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」は福島北高グラウンド。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山高校吹奏楽部を紹介。
第5回:1988年5月14日「生中継おじゃカメが行く」
第6回:1988年5月21日「キャディラックライブ」
きょうはキャディラックのライブを中心に送る。また「生中継おじゃカメが行く」は福島市コルニエツタヤのオリエンタルレコードから。
第7回:1988年5月28日「おじゃカメが行く」
第8回:1988年6月4日「東京なんでもグラフィティー」
「生中継おじゃカメが行く」と「ヒーロー&ヒロイン」は日本女子工業高校トランポリン部。また、一日郡山市中町中央通りパート2前行われた、ストリートダンサーのライブを紹介する。
第9回:1988年6月11日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「ヒーロー&ヒロイン」は安積高校応援部。「生中継おじゃカメが行く」は東北歯科大学の学園祭会場から。
第10回:1988年6月18日「生中継おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」と「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、清陵情報高校から。ゲストは山下久美子。
第11回:1988年6月25日「生中継おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」は郡山駅ビル・サンシティから生中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は須賀川女子高校バスケット部。
第12回:1988年7月2日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、若松商業高校男子バレーボール部。「生中継おじゃカメが行く」は、福島市すずらん通りにあるビアパブBANBANから。
第13回:1988年7月9日「生中継おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」は昭和自動車学校から生中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島商業高校フェンシング部から。
第14回:1988年7月16日「生中継おじゃカメが行く」
「生中継おじゃカメが行く」は安積女子高校・放送部から。「とびだせヒーロー&ヒロイン」はいわき高校・ラグビー部。
第15回:1988年7月23日「生中継"おじゃカメ" ほか」
第16回:1988年7月30日「生中継”おじゃカメ” ほか」
「生中継おじゃカメが行く」は会津若松市のメガネスーパーから。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は喜多方女子高校ソフトボール部。
第17回:1988年8月6日「生中継おじゃカメ・鶴ヶ城」※再放送休止
第18回:1988年8月13日「郡山駅ビルから全中継」
きょうは郡山駅ビル・サンシティから送る。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は安達高校テニス部。そのほかビデオレンタルクリーンヒットベスト5など。
番外「いきなりBANBANのっTVビッグワイド」:1988年8月20日(14時~16時)「▷おじゃカメ▷ヒーロー&ヒロインNG編・総集編▷手品少年▷アンコール・アンコール」
第19回:1988年8月20日「▷生中継おじゃカメ ほか」
第20回:1988年9月3日「▷生中継おじゃカメ ほか」
「生中継おじゃカメが行く」は田村高校の仮装行列と開成山球場で行われたプロ野球イースタンリーグを放送。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は安積高校・バレー部から。
第21回:1988年9月10日「ヒーロー&ヒロイン ほか」※再放送休止
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は須賀川高校女子ハンドボール部。そのほか「学園祭・体育祭特集」として福島高校、田村高校、安積高校から中継。
第22回:1988年9月17日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「生中継おじゃカメが行く」は郡山西武の特設会場から、キャビンレーシングチームを迎えて送る。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は日大東北高校水泳部から。
第23回:1988年9月24日「ストリートダンサー」
第24回:1988年10月1日「ストリートダンサー」
第25回:1988年10月8日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「飛びだせヒーロー&ヒロイン」は平工業高校サッカー部。「いきなり高校ウォッチング」は平商業高校体育祭から。
第26回:1988年10月15日「ストリートダンサー」
郡山市桑野にある"見聞録"から中継。「とびだせヒーロー&ヒロイン」は学法福島高校から。「いきなり高校ウォッチング」は平商業高校体育部。
第27回:1988年10月22日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第28回:1988年10月29日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山商業高校卓球部、「いきなり高校ウォッチング」は川俣高校と郡山女子高校から中継。また、「生中継おじゃカメが行く」は郡山うすいで行われている中国物産展から送る。
第29回:1988年11月5日「いきなり高校ウオッチング」
第30回:1988年11月12日「ゲスト・村井麻理子」
第31回:1988年11月19日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島高校・ジャズ研究部から。「いきなり高校ウォッチング」は東白川農商高校・東光祭から。
第32回:1988年11月26日「ストリートダンサー」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、帝京安積高校ハンドボール部。「いきなり高校ウォッチング」は福島工業高等専門学校と四倉高校から。
第33回:1988年12月3日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は遠野高校。「いきなり高校ウォッチング」は浪江高校の学園祭から。また、「生中継おじゃカメが行く」は福島ルミネから送る。
第34回:1988年12月10日「郡山駅ビルから全中継」
第35回:1988年12月17日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせ!ヒーロー&ヒロイン」は東北歯科大学・アメリカンフットボール部から、「いきなり高校ウォッチング」は福島東高校の運動会を紹介する。
番外「クリスマスINいきなりBANBANのっTV」:1988年12月24日(14時30分~16時)「ヒーロー&ヒロイン総集編Ⅰ・Ⅱ ほか」
クリスマス特集として各コーナーの総集編を送る。その他、十八日に福島ルミネネクストホールで行われたストリートダンサーの熱気あふれるライブの模様も放送。
第36回:1988年12月24日「ヒーロー&ヒロインNG編」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は二本松工業高校・男子バレーボール部、「生中継おじゃカメが行く」は郡山市開成にある"ビオット"から送る。
第37回:1988年12月31日(17時~18時)「とびだせヒーロー&ヒロイン ほか」※再放送休止
第38回:1989年1月7日「ストリートダンサー」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は郡山高校・サッカー部、「東京情報」は吉祥寺から送る。
第39回:1989年1月14日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第40回:1989年1月21日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第41回:1989年1月28日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は県立石川高校・男子バレー部。「東京なんでもグラフティ」は原宿から送る。
第42回:1989年2月4日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は福島北高校・合唱部。「東京なんでもグラフティ」は原宿から送る。
第43回:1989年2月11日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は矢吹高校剣道部から。また、十四日のバレンタインデーにちなんで「バレンタイン特集」を送る。
第44回:1989年2月18日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
「とびだせヒーロー&ヒロイン」は、郡山女子高校バスケット部。「生中継おじゃカメが行く」は福島市の市民ギャラリーから送る。
第45回:1989年2月25日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第46回:1989年3月4日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第46回:1989年3月11日「"おじゃカメ"が行く ほか」
第47回:1989年3月18日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
第48回:1989年3月25日「ヒーロー&ヒロイン ほか」
【備考】
第1回は福島民報ラ・テ欄には内容の記載がないが、番組最終回での回想によると、「飛び出せ!ヒーロー&ヒロイン」で安積高校ラグビー部を取材しているという。その最終回でも、再び安積高校ラグビー部を訪れている。
第9回の生中継で訪れた「東北歯科大学」は、現在の奥羽大学のことである。翌1989年4月に文学部が設置され、校名が変更された。なお、奥羽大学文学部は現在廃止されている。この東北歯科大学以外にも、この放送リストには、男女共学化や統合などの影響で校名が変更されている高校が多数掲載されている。
第11回などの中継で訪れている郡山駅ビル「サンシティ」(現在のS-PAL郡山)は、この番組のスポンサーでもあった。最終回での出演者の回想によると、FCT本社スタジオ以外では最も多く放送を行った場所であるという。
第16回で訪れているメガネスーパーも、番組スポンサーの一社である。そのほか福島スバル自動車もスポンサーの一社で、この1988年度の放送リストには記載されていないが、同社ショールームからの放送も度々行われている。三浦貝願は番組最終回で「ここに行くとコーヒーが飲めるから好きだった」と述べている。
粋成浩児・三浦貝願と共にMCとして出演していたアミーゴ中村は、第48回をもって降板。同回では「番組卒業」の記念に、粋成・三浦と共に学法石川高校のソフトボール部と親善試合を行った。
なお、中村はこれと共に「ストリート・ダンサー」も脱退したが、『のっTV』にはその後も番組最終回まで度々ゲスト出演した(後期は「中村伸」名義での出演)。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『燃えろFCT PARTⅢ 福島中央テレビ20年の歩み』(1989年、福島中央テレビ)
【2023年8月5日公開】
【2023年8月7・9日加筆】
『福島夢雑貨店』放送リスト
テレビユー福島(TUF)『福島夢雑貨店』
1993年4月3日~1994年3月26日にテレビユー福島(TUF)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日16時30分~17時。
『鈴木元気の悠遊ふくしま』に代わって登場した、土曜日夕方の情報番組である。放送は『悠遊ふくしま』より30分繰り上がって16時30分からに(17時台はアニメ『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』の再放送と、『電光超人グリッドマン』の同時ネットに変更)。番組の尺は30分に縮小した。
この番組は、2023年8月現在、明らかになっている公式情報がほぼ無い。TUFの社史『TUF10年のあゆみ』は、この番組が始まって間もない時期に編纂されたものであるため、『福島夢雑貨店』に関する記述は、巻末資料の「主要自社制作レギュラー番組一覧」の中に記された番組名のみである。
下記放送リストは、例によって福島民報ラ・テ欄に記載されている情報で、具体的な内容を知れる資料は、これのみと言っていい(福島県にはもう一つ、福島民友新聞という県紙が存在しているが、ラ・テ欄の記載内容は民報とほぼ相違ないと思われるので、ひとまずここでは措く)。
新聞から読み取れる番組の特徴は、上半期と下半期で大きく内容が異なるという点である。
上半期(1993年4~9月)は、若手アナウンサーや一般の視聴者を主役にしたチャレンジ系の企画が多い。『探偵!ナイトスクープ』(朝日放送)を思わせる「現代版わらしべ長者」や「友達の輪」といった調査もの、スポーツや歌で夢をつかもうとする少年少女を応援するものなど、情報番組というよりバラエティ番組といった雰囲気である。
下半期(1993年10月~1994年3月)になると、一転して、何らかのテーマに関するベストテンを紹介するランキング情報番組に変貌している。この時期はラ・テ欄の「見どころ」で内容が紹介されることはなく、上半期のようなバラエティ的企画が存続したのかどうか、資料からはわからない。1994年1月1日放送分が「初夢対決」となっているので、それらが全くなくなってしまったわけでもないようだが、メインはあくまでもベストテン企画だったようだ。
いずれの時期を見ても、前番組『鈴木元気の悠遊ふくしま』がやや中高年層向けの内容で制作されていたのに対して、老若男女を問わず幅広い人々へと向けた内容になっている。必ずしも若年層にだけ向けた番組ではないことは、上半期で言えばサラリーマンやお年寄りを主役にした回があること、下半期で言えば健康茶や懐かしの卒業の歌を取り上げた回があることからもわかる。
出演者は、TUFアナウンサーの水津邦治、皆藤慎太郎、外岡いつ美(皆藤・外岡は2023年現在退社)。いずれも当時入社2~3年目の若手アナウンサーである。水津と皆藤に関しては、下記に引用した福島民報ラ・テ欄からも出演が確認できるが、外岡については、雑誌『財界ふくしま』に掲載された番組の宣伝広告でそれが確認できる。
なお、『財界ふくしま』の番宣広告を見る限り、皆藤は上半期のみの出演で、下半期は水津と外岡の2人が引き続き出演した模様。
第1回:1993年4月3日「人情求めて無一文ひとり旅」
福島に関すること、夢のある話題などを追って、アナウンサーが取材に駆け回る。一回目は「福島に人情は残っているか!?」と題し皆藤慎太郎アナがヒッチハイクで無銭旅行に挑戦。
第2回:1993年4月10日「(表記なし)」
「帰りが遅い」「すぐ怒る」などお父さんに対する不満はさまざま。そんな不満を持った子供たちが働くお父さんをウオッチング。
第3回:1993年4月17日「貴重映像発見・30年前の福島」
昭和二十~三十年代、福島の映画館で上映されていたニュース映画を紹介。当時、話題になった人たちを捜しだし、激動の昭和を振り返る。
第4回:1993年4月24日「午後1番に目玉焼・番組ウラ話」
第5回:1993年5月1日「悲鳴絶叫・観光地美化大作戦」
決死の観光地美化大作戦。薄磯海岸の海底に沈むゴミのサルベージや、霞ヶ城の鯱(しゃちほこ)磨きなど、水津アナが危険覚悟でチャレンジする。
第6回:1993年5月8日「サッカー少年・Jリーグ挑戦」
第7回:1993年5月15日「感激体験・夢のJリーグ特訓」
Jリーグの人気チーム、清水エスパルスの特訓を受けに小学生が静岡へ。プロサッカー選手の強力なシュート。チビッ子たちはゴールを守れるか。
第8回:1993年5月22日(14時~14時30分)「現代版わらしべ長者に挑戦」
一本のわらしべが元手となって長者になるという昔話「わらしべ長者」を現代の福島で再現実験。リポーターは果たして長者になれるか。
第9回:1993年5月29日(17時~17時30分)「視聴率アップ大作戦」
視聴率を上げようと、三人の若手アナウンサーは直接行動に出た。番組PR大作戦と銘打ったこのアイデア。果たして成功するか。
第10回:1993年6月5日「プロ野球ボールボーイに挑戦」
第11回:1993年6月12日「心臓ドキドキ野球少年夢実現」
第12回:1993年6月19日「ボディコン田植え▷ミッキー」
東京のディスコで踊りに興じるボディコンギャルとフィリピンから来たニューハーフが、熱塩加納村で田植えを体験。
第13回:1993年6月26日「夢の空中ブランコに挑戦」
福島大学の学生二人が、仙台で開かれているサーカスで空中ブランコに挑戦。人間が最も恐怖を感じるという十二メートルの高さで繰り広げられる空中芸に、決死の覚悟で挑戦する姿を追う。
第14回:1993年7月3日「サーカス挑戦・いよいよ本番」
第15回:1993年7月10日「世間は狭い?日本人総家族?」
世にいう「世間は狭い」は本当か。何の縁もない北海道の会社員と福島市の女子中学生。番組では、北海道の会社員をスタートに、友人、知人を訪ね歩き、福島の中学生を目指す。いったい何人の知人を介せば二人は一本の線で結ばれるのか?
第16回:1993年7月17日「友達の輪・完結なるか福島編」
全く見ず知らずの北海道の会社員と福島の中学生が、いったい何人の知り合いを介していけば二人はつながるのだろうか?前回は仙台までの様子を紹介したが、今回はいよいよ福島へ。
第17回:1993年7月24日「奇想天外・雪だるまのお中元」
奇想天外!真夏に突如出現した雪だるま。桧枝岐村に残っている本物の雪をトラックに積み込み、途中溶け始める雪と悪戦苦闘しながら福島市内の家庭に届けた。
庭に突如現れた季節はずれの雪だるまに、学校から戻ってきた子供たちの反応はいかに。
第18回:1993年7月31日「音痴は直る?市川昭介VS音痴」
第19回:1993年8月7日(15時30分~16時)「市街地に突如現れた露天ぶろ」
露天ぶろでストレス解消。番組では、福島市の繁華街に露天ぶろを設置。夏バテ気味のサラリーマンを無料招待して、生ビール飲み放題、焼き鳥食べ放題の大サービス作戦を決行した。
第20回:1993年8月14日「露天ぶろパラダイスパートⅡ」
あぜん!驚き!市街地に突然現れた露天ぶろパラダイス。番組では、福島市の飲み屋街に露天ぶろを作った。サラリーマンにストレスを解消してもらおうと決行されたこの大作戦。先週にひき続き、その模様を紹介する。
第21回:1993年8月21日「発表・"夢雑貨FC"結成」
福島夢雑貨店が、ついにちびっこサッカーチームを結成。その名もズバリ「夢雑貨FC」。そして監督は、なんと「とんねるず」の木梨憲武率いる「FCのりの」の名ゴールキーパー田口光久。全日本で鳴らした田口監督のもと、日本一を目指して霊山町で合宿を行う。
第22回:1993年8月28日「霊山で合宿ちびっこサッカー」
第23回:1993年9月4日「長崎歌謡祭・県内予選大会」
「番組からスターを誕生させよう!」の合言葉のもと、アイドル歌手を目指す浪江町の女子高校生を取材。彼女を新人歌手の登竜門「長崎歌謡祭」に出場させるまでの県内予選大会の奮戦記をおくる。
第24回:1993年9月11日「長崎歌謡祭県出身スター誕生」
新人歌手の登竜門「長崎歌謡祭」が長崎県のハウステンボスで行われた。
番組では、本県代表として出場した浪江町の女子高校生に同行し、優勝へ向けて大作戦を敢行した。
第25回:1993年9月18日「お年寄りとデートをしよう」
敬老の日にちなんで、福島市内に住むお年寄りに大サービス作戦を敢行。いたれり尽くせりの日帰り旅行への招待や、念願のバスガイド体験などのサービスを受けて、主人公のお年寄りは涙を流しての大感激。お年寄りたちの一日をリポート。
第26回:1993年9月25日「必見・夢企画上半期総集編」
駆け出しアナウンサー三人の破天荒なリポートを上半期分まとめて紹介する。
第27回:1993年10月2日「新装開店・テレビでDJ?」
第28回:1993年10月9日(15時~15時30分)「あなたの夢を教えて下さい」
第29回:1993年10月16日「テレビDJ風変わりランキング」
第30回:1993年10月23日「テレビDJ見せますベスト10」
第31回:1993年10月30日「大好評何でも面白ベスト10」
第32回:1993年11月6日「テレビDJおもちゃベスト10」
第33回:1993年11月13日「テレビDJ僕の本棚ベスト10」
第34回:1993年11月20日「テレビDJ'94カレンダー10」
第35回:1993年11月27日「さてはて当たるか?宝くじ」
第36回:1993年12月4日「これだ今年のXマスケーキ」
第37回:1993年12月11日「高校生のお気に入り10曲」
第38回:1993年12月18日「決まり・Xマスプレゼント」
第39回:1993年12月25日「嬉しい楽しいクリスマス」
第40回:1994年1月1日(17時~17時30分)「アントラーズJrと初夢対決」
第41回:1994年1月8日「DJ・あなたのお便り紹介」
第42回:1994年1月15日(15時30分~16時)「アニメCDベスト10」
第43回:1994年1月22日「おもしろ目覚まし時計ベスト10」
第44回:1994年1月29日「テレビDJ犬の絵本ベスト10」
第45回:1994年2月5日「これは必見・健康茶ベスト10」
第46回:1994年2月12日「バレンタインチョコ大特集」
第47回:1994年2月19日(17時~17時30分)「マル得必見100円均一ベスト10」
第48回:1994年2月26日「懐かしの卒業の歌ベスト10」
第49回:1994年3月5日「スナック菓子人気ベスト10」
第50回:1994年3月12日「新生活マル得情報ベスト10」
第51回:1994年3月19日「必見何でもおもしろベスト10」
第52回(最終回):1994年3月26日「あなたのおハガキベスト10」
【備考】
第4回にある「午後1番」はラジオ福島(rfc)で放送されていた『rfcワイド 午後一番』、「目玉焼」は福島放送(KFB)で放送されていた『あいうえお天気目玉焼Lサイズ』のことである。前年の『悠遊ふくしま』での企画に続いて、他局の番組とコラボレーションした内容で放送したようだが、詳細は資料からはわからない。
第18回には福島県郡山市出身の作曲家・市川昭介が出演しているが、『福島夢雑貨店』が終了した後のTUF土曜16時30分枠では、その市川が司会を務めた音楽番組『平成歌謡塾』が放送されている(1994年4月2日開始)。
第21回の内容に登場する「FCのりの」は、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』の中で木梨憲武(とんねるず)が結成したフットサルチームのこと。ちなみに、『福島夢雑貨店』と同日にスタートし、『夢雑貨店』の直後の時間帯に放送されていた福島中央テレビ(FCT)の情報番組『輝いて…土曜日』には、その『生ダラ』の企画でとんねるずが出演したことがある。
『福島夢雑貨店』終了後、水津と外岡は新たにスタートした平日午前中の情報番組『マル得ふくしま生放送』(1994年4月4日開始、月~金曜10時55分~11時15分)の初代司会となった。
『夢雑貨店』の第47・50回に「マル得」の文言があったり、『マル得ふくしま』初期のコーナーに「TUF編成部問い合わせベスト5」があったりするなど、『夢雑貨店』下半期の内容と『マル得ふくしま』初期の内容には相通じるものがある。『マル得ふくしま』は『夢雑貨店』を発展させた番組だと言っても、大外しではないのだろう。
ちなみに、『財界ふくしま』に掲載された『マル得ふくしま生放送』の番宣広告を見ると、初期の『マル得ふくしま』のスタジオセットも、『福島夢雑貨店』のセットを流用したもののようである。
参考として、以下に『マル得ふくしま生放送』の放送第1週目のラ・テ欄の記述を引用しておく。
第1回:1994年4月4日「産直・ふるさと自慢 ほか」
近所のお店のお買い得情報など、これまで折り込みチラシや口コミの世界でのみ伝えられていたリアルな情報を、テレビメディアの同時性とローカル局の限定地域性という二つの特性を生かして、ストレート、そして刺激的に伝える。
第2回:1994年4月5日「問い合わせベスト5」
県内小売店のお買い得情報を紹介する「マル得!FAX勝負」、そして先週一週間TUFに寄せられた視聴者からの問い合わせを紹介する「TUF編成問い合わせベスト5」をおくる。
第3回:1994年4月6日「あしたの折り込み広告 ほか」
木、金曜日に配られる折り込み広告を紹介する「一足お先にあしたの折り込み広告」をおくる。
第4回:1994年4月7日「▷テレビ公募ガイド ほか」
最近人気を呼んでいる全国の公募情報を紹介する「マル得!テレビ公募ガイド」のコーナーなどおくる。
第5回:1994年4月8日「▷こちらスポニチ編集部 ほか」
県内小売店のお買い得情報を紹介する「マル得!FAX勝負」のコーナーなどをおくる。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『TUF10年のあゆみ』(1993年、テレビユー福島)
・『財界ふくしま』第22巻第8号(1993年7月、株式会社財界)
・『財界ふくしま』第23巻第1号(1993年12月、株式会社財界)
・『財界ふくしま』第23巻第8号(1994年7月、株式会社財界)
【2023年8月4日公開】
【2023年8月10日加筆】
『鈴木元気の悠遊ふくしま』放送リスト
テレビユー福島(TUF)『鈴木元気の悠遊ふくしま』
1992年4月4日〜1993年3月27日にテレビユー福島(TUF)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時~17時54分。
TUFが開局以来、初めて制作した1時間のローカル情報番組である。それまで土曜日には『ウィークエンド・ユー』や『カメラでおはよう ウェザーアイ』といったローカル番組を放送してきたが、いずれも最大30分枠で、1時間枠の情報番組はこれが初めてである。
出演者は鈴木元気、富田範子、水津邦治、星金次郎。
メインである鈴木元気は仙台を拠点に活動するローカルタレント。漫才・コントといったお笑い活動を経て、1980年代後半頃から宮城県の東北放送(TBC)などの番組に出演していた。
富田範子は『TUF10年のあゆみ』によると、1990年6月に東京アナウンスアカデミーで研修中だったところを急遽契約アナウンサーとして採用された人物であるとされる。しかし、同書の『悠遊ふくしま』について記述した頁では、富田を「フリーアナウンサー」とも記しており、詳細は不明。『悠遊ふくしま』に起用された時点では局との契約は終了しており、フリーの立場で出演していたのかもしれない。
水津邦治はTUFの正社員アナウンサーで、前年1991年4月に入社した、当時2年目のアナウンサーであった。2023年8月現在もアナウンサーを務めているが、本社ではなくいわき支社に勤務している。
星金次郎は出演者でもあるが、本来の役職はこの番組のプロデューサーであり、当時はTUFの制作部長も務めていた人物である。
その他、下記の放送リストからも読み取れるように、コーナーレギュラーが複数存在した。特に、第1回にも名前が見える「きょうのツボ」コーナー担当の鍼灸師・平栗辰也は、身体のツボを書き込んだタイツを着た「ツボ男」(詳細不明)とのコンビで人気を得たという。なお、平栗は2023年現在も、郡山市で鍼灸院を営んでいる。
番組としては、下記の放送リストを見ると分かる通り、平栗の「きょうのツボ」のコーナーの他、後期には都々逸や歌謡曲のコーナーがあるなど、主に中高年層に向けた内容であったようである。同時期に福島放送(KFB)が放送していた『あいうえお天気目玉焼Lサイズ』が主に子どものいるファミリー層を狙ったような内容で放送していたのとは対照的である。もっとも、それが狙いだったのかもしれないが。
鈴木元気の公式プロフィールに「大ブレイク」「視聴率を軒並み更新」と記されていることから、その狙いは一定の成果を上げていたようだが、番組は1年で終了。ほぼ同じ時間帯でスタートした次番組『福島夢雑貨店』は、若手アナウンサーをメインに据え、若年層も含めた幅広い世代に向けた内容へと変わっている(別項参照)。
第1回:1992年4月4日「平栗辰也 池田政弘 ほか」
ニュース・天気予報・タウン情報・健康・グルメといった、生活に密着したありとあらゆる情報を伝える。プロの料理人のテクニックを教える「われらグルメ党」、平栗の「きょうのツボ」、ウェイニーの「顔面体操」など。
第2回:1992年4月11日「原釜のお母さん▷グルメ▷ツボ ほか」
第3回:1992年4月18日「元気が花見▷グルメ▷腰痛のツボ」
第4回:1992年4月25日「観光地イッキ巡り▷グルメ▷ツボ」
第5回:1992年5月2日「元気がゆく▷グルメ塾▷ツボ ほか」
那須ハイランドパーク、須賀川ぼたん園からのリポートとゴールデンウイークの情報満載でおくる。ほかに、「きょうのツボ」は乗り物酔い。「グルメ塾」はホタテ貝のサラダ。
第6回:1992年5月9日「元気がゆく▷グルメ塾▷ツボ ほか」
第7回:1992年5月16日「元気がゆく▷グルメ塾▷ツボ ほか」
ゴールデンウイークでお金を使い果たしたあなたに、五十円で楽しめるリゾートを紹介。そのほか、「グルメ塾」はエビのクリーム煮。「きょうのツボ」は眼精疲労について。
第8回:1992年5月23日「ルネサンス棚倉でスポーツに挑戦」
「元気がゆく」は、ルネサンス棚倉で乗馬、アーチェリーなどに挑戦。ほかに「きょうのツボ」は五月病に効くツボ。「グルメ塾」は若鶏のトマト煮込み。
第9回:1992年5月30日「得情報第2弾・会津街角資料館」
「元気がゆく」は、会津若松市内の格安で回れる街角資料館を紹介。ほかに、「きょうのツボ」は眠気に効くツボ。「グルメ塾」は、コーンのクリスティアン。
第10回:1992年6月6日「元気の一人旅シリーズ・勿来の関」
元気が「勿来の関」などの名所をひとり旅。「グルメ塾」はイワシのつみれわん。
第11回:1992年6月13日「4駆ファン必見・丸森町の四駆村」
第12回:1992年6月20日「雨でもできる、室内ゲームを紹介」
「きょうのツボ」は、女性必見!美しい肌になるツボを紹介。
第13回:1992年6月27日「元気がゆく・小名浜の観光遊覧船」
第14回:1992年7月4日「勝負服で有名な河野さんを訪ねる」
競馬の騎手が着る勝負服。その八割を作る河野政平さんを紹介する。「グルメ塾」は、ワインについてのQ&A。「きょうのツボ」は、不眠症に効くツボ。
第15回:1992年7月11日「元気の一人旅▷冷え性に効くツボ」
日本の公園の元祖、白河の南湖公園を元気が一人旅。「グルメ塾」はソムリエ生出演。ワインを使ったデザートなどを紹介する。「きょうのツボ」は冷え症に効くツボ。
第16回:1992年7月18日「金次郎がゆく?▷必見やせるツボ」
「金次郎がゆく」は、相馬野馬追いの観戦ポイントを紹介する。
第17回:1992年7月25日「とび職に挑戦▷夏バテ予防のツボ」
元気の挑戦シリーズ第一弾、とび職に挑戦。「グルメ塾」はスペインのワインについて。「きょうのツボ」は夏バテ予防のツボ。
第18回:1992年8月1日「夏休み穴場情報Ⅰ▷やせるツボⅡ」
海水浴と温泉、そしてテニスが楽しめる、そんな場所を元気が紹介する。ほかに、「グルメ塾」は白酢あえ。「きょうのツボ」は、やせるツボ。
第19回:1992年8月8日「星の村ってどんな村?▷ツボ ほか」
滝根町の星の村を富田範子アナがリポート。「きょうのツボ」は、夏の紫外線対策、女性必見、しみ、ソバカスのツボを紹介。
第20回:1992年8月15日「県内6局の人気アナを突撃取材」
元気がNHKをはじめ県内の全放送局を突撃取材。人気アナウンサーに、番組出演の抱負などを聞く。
第21回:1992年8月22日「県内6局の人気アナ栗子に集合」
栗子スキー場より生中継。県内六局の人気アナウンサーが集合し、クイズに挑戦。
第22回:1992年8月29日「近県情報・那須周辺▷グルメ ほか」
栃木県那須周辺のちょっと変わった博物館、トリックアートの館などを紹介。
第23回:1992年9月5日「近県情報第2弾・宮城県七ヶ宿町」
近県情報第二弾。元気がパラグライダーやグラススキーに挑戦。宮城県七ヶ宿町を紹介。他に「きょうのツボ」は、集中力増進のツボを紹介する。
第24回:1992年9月12日「正しい肩たたき講座▷グルメ ほか」
必見、敬老の日を前に、おじいちゃん、おばあちゃんにプレゼントする正しい肩たたきを伝授。
第25回:1992年9月19日「元気が出る街・泉崎村から生放送」
泉崎村のサイクルロードレース泉崎'92の前夜祭から生放送。他に「きょうのツボ」は元気がわくツボ。
第26回:1992年9月26日「悠遊都々逸教室開講▷グルメ ほか」
「見直そう日本の文化」のコーナーでは悠遊都々逸(どどいつ)教室を開講。ほかに「グルメ塾」はティラミス。「きょうのツボ」はねん挫のツボを紹介。
第27回:1992年10月3日「ディズニーランド▷英会話教室」
元気・範子の東京ディズニーランドとっておき情報。新コーナー、元気マークの悠遊英会話教室。そして、グルメ塾ワイン編は、実況解説付きのグルメコントと盛りだくさんでおくる。
第28回:1992年10月10日「悠遊どどいつ教室▷目の疲れのツボ ほか」
「グルメ塾」は、ワインの楽しみ方。「きょうのツボ」は目の疲れに効くツボを紹介。
第29回:1992年10月17日「元気がゆく▷グルメ塾▷ツボ ほか」
新登場。素朴な疑問に答える「邦ちゃんの何でもお答えします」。悠遊英語教室は、外国人教師が指導。
第30回:1992年10月24日「悠遊どどいつ教室▷脱毛症のツボ」
きょうの悠遊都々逸(どどいつ)教室のお題は「秋の色」。三味線の伴奏であなたもレッツシンギング。きっと首を降ってしまうはず。
第31回:1992年10月31日「悠遊英語教室▷おねしょのツボ ほか」
「グルメ塾」ワイン編は最終回。邦ちゃんのデートの結末は?
第32回:1992年11月7日「悠遊どどいつ教室▷グルメ▷ツボ」
悠遊都々逸(どどいつ)教室のお題は「セーター」。「きょうのツボ」は、人前であがらないツボを紹介。
第33回:1992年11月14日「悠遊英語教室▷風邪予防のツボ ほか」
第34回:1992年11月21日「悠遊どどいつ教室▷お答えします」
都々逸(どどいつ)教室のお題は「鍋」。ツボは風邪予防のツボを紹介。
第35回:1992年11月28日「悠遊英語教室▷高血圧のツボ ほか」
第36回:1992年12月5日「どどいつ▷グルメパーティー ほか」
第37回:1992年12月12日「ミッキー・ミニーがやってくる」
スタジオにミッキー、ミニーがやってくる。クリスマスイベントなどを紹介する。
第38回:1992年12月19日「悠遊どどいつ▷しもやけのツボ」
第39回:1992年12月26日「おせちQ&A▷年をとらないツボ」
第40回:1993年1月9日「悠遊英語教室▷頭スッキリのツボ」
「グルメ塾」はワイン編でグラスの種類について。「きょうのツボ」は頭のすっきりするツボを紹介。
第41回:1993年1月16日「新コーナー・悠遊歌謡教室▷ツボ」
第42回:1993年1月23日「悠遊英語教室▷ワインの楽しみ方」
グルメ塾ワイン編は料理とワインの相性について。またそれに関連して、お酒の飲み過ぎによる内蔵の疲れをとるツボも紹介する。
第43回:1993年1月30日「歌えば楽し・悠遊歌謡教室▷ツボ」
第44回:1993年2月6日「悠遊英語教室▷リューマチのツボ」
第45回:1993年2月13日(15時~15時54分)「みんなで歌おう・悠遊歌謡教室」
第46回:1993年2月20日「みんなで話そう・悠遊英語教室」
一緒に話そう!悠遊英語教室。元気・マークがすぐ使える表現を紹介する。「グルメ塾」は小あじの南蛮漬け。「きょうのツボ」は痔(じ)に効くツボを紹介。
第47回:1993年2月27日「元気に歌おう・悠遊歌謡教室」
悠遊歌謡教室。視聴者代表の三人が演歌・ポップスを熱唱。「グルメ塾」はひな祭りにピッタリのちらしずしを紹介。
第48回:1993年3月6日「悠遊英語教室▷ぎっくり腰のツボ」
第49回:1993年3月13日「悠遊歌謡教室▷グルメ▷ツボ ほか」
第50回:1993年3月20日「悠遊英語教室▷肩こりのツボ ほか」
第51回(最終回):1993年3月27日「悠遊歌謡教室▷病気知らずのツボ」
【備考】
第20・21回は、NHKやラジオ福島を含めた福島県内の全放送局からアナウンサーを集めた企画を放送したようである。各局のコラボレーションが当たり前になった2023年現在に比べると、特にNHKのアナウンサーはまだ他局への出演はそこまで自由ではなかったはずであり、当時としては画期的な企画であっただろう。この企画に参加した各局のアナウンサーは、残念ながら資料からは不明である。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『TUF10年のあゆみ』(1993年、テレビユー福島)
・株式会社ラ・ディセ ウェブサイト内、鈴木元気プロフィール(2023年8月4日閲覧、http://la-deesse.jp/cms-wp/wp-content/uploads/ba194eb668764d88910989f05af519a7.pdf)
【2023年8月4日公開】
『あいうえお天気目玉焼Lサイズ』1998年度放送リスト
福島放送(KFB)『あいうえお天気目玉焼Lサイズ』
1990年4月7日~1998年9月26日に福島放送 (KFB)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日7時~8時。
ここでは、1998年度放送分についてまとめている。なお、番組の見どころは、『福島民報』においては放送前日(金曜日)のラ・テ欄に「明朝の見もの」として記載されている。放送回数は『あいうえお天気目玉焼』時代からの通算である。
第409回:1998年4月4日「きみえ新登場池田VSオバチャマ新潟バスツアー…貨車の謎」
新リポーターに遠藤きみえを迎える。池田速人とオバチャマの新潟バスツアーでは、貨車記号のなぞに迫る。
第410回:1998年4月11日「満開・お花見中継▷あのテディベアの店発見▷新幹線の謎」
今、映画で大人気のあのテディベアを県内の輸入雑貨店で発見。
第411回:1998年4月18日「奥山絶叫リポート▷珍道中大ハプニング▷中南米音楽中継」
第412回:1998年4月25日「奥山ライセンス取得に奮闘▷絶叫…遊園地ハイテクマシン」
第413回:1998年5月2日「意外に合う家庭料理とワイン?▷中継珍種のラン▷珍道中」
今、女性たちに人気のワインを家庭料理とドッキング。食卓でのワインの楽しみ方を紹介する。
第414回:1998年5月9日「秘境の湯で思わぬご対面▷タンポポを食べよう▷板前登場」
第415回:1998年5月16日「沖縄で初ダイビング・奥山アナの海中散歩▷中継㊙アイス」
沖縄のダイビングにスポットを当てる。海中散歩第一弾としておくる。
第416回:1998年5月23日「沖縄ダイブ&琉球グルメ▷いまごろ田植え▷パトカーの謎」
沖縄の魅力に迫る。ダイビングスポットや伝統の琉球料理を紹介する。
第417回:1998年5月30日「スチュワーデスの靴の謎▷湯けむり中継豪華ホテルのお宝」
第418回:1998年6月6日「新緑の北海道池田アナ激流下りに…挑戦▷喜多方蔵の謎?」
新緑の大地、北海道を舞台に、池田アナウンサーが激流下りとアウトドアスポーツに挑戦する。
第419回:1998年6月13日「北海道の旅…富良野の丘は絶景美味▷安達太良の㊙牛乳?」
二本松市の牧場から、脱サラ夫婦が考えた特別な牧場牛乳を中継で紹介する。
第420回:1998年6月20日「ストッキングを使った肩こり解消法▷ぬる湯温泉の謎…?」
第421回:1998年6月26日「特集・究極の納豆料理大公開▷珍道中会津本郷町▷中継 ほか」
第422回:1998年7月4日「奥山あのゴジラ試写会で芸能リポーターに▷中継は雪祭り」
第423回:1998年7月11日「ハーブ&ペット&エステの関係は…▷ビー玉&ラムネの謎」
第424回:1998年7月18日「涼しさを運ぶ夏のグラス▷キャンプ中継…家族で楽しもう」
第425回:1998年7月25日「夏休み注目のオートキャンプ場から中継▷卓球で宿泊無料」
国内最大級のオートキャンプ場「フォレストパークあだたら」から中継。欧米スタイルのキャンプ場として注目を集める施設などを紹介する。
第426回:1998年8月1日「絶景・猪苗代ヒマワリ畑▷米沢グルメ旅▷復活?目玉体操」
米沢へ食い倒れツアーを実施。そんぴんラーメンや米沢牛を味わう。
第427回:1998年8月8日「夏こそ辛い物メキシコ料理がグッド▷夏に台風が来るワケ」
辛い料理は夏バテ防止効果がある。汗が出るメキシコ料理やスパイスを特集。
第428回:1998年8月15日「夏の恐怖体験幽霊峠と氷点下の世界▷中継新潟緑のフェスタ」
幽霊話や恐怖体験談などを特集する。中継は新潟県の緑のフェア会場から。
第429回:1998年8月22日「駅舎にそば屋が誕生…祝言そば登場▷フラメンコの魅力 ほか」
猪苗代町から、駅のそば屋さんを紹介する。
第430回:1998年8月29日「あなたの髪は大丈夫?頭皮ケア▷インラインスケート挑戦」
夏の強い日差しで弱った頭皮をケアする、ヘアエステを特集。シャンプー、マッサージの仕方についても紹介する。
第431回:1998年9月5日「潜入・ラーメン屋の舞台裏▷中継はインラインスケート」
第432回:1998年9月12日「周遊チケットで行く新潟の旅▷中継縄文時代の料理▷体操」
第433回:1998年9月19日「秋はイモ煮会県内3地方ナベ対決…▷珍道中ついに長者へ」
第434回(最終回):1998年9月26日「8年半ありがとう・ついに最終回鍋を囲んでの大感謝祭」
ついに最終回。最後の思い出づくりにと、北海道をまわった旅の様子を伝える。また、局前広場を開放、番組に登場したさまざまな人を迎え、八年半の番組の歴史を振り返る。
【備考】
最終回は「局前広場を開放」とある通り、当時完成したばかりの福島放送社屋新館前(正面玄関前)のスペースに視聴者を招き入れて番組を進行した。キャスター3人、レポーターに加え、寺尾克彦らも出演(『福島放送の20年』に掲載されている最終回の写真を見ると、やや不鮮明ながら羽藤淳子らしき姿も見られる)。集まった視聴者の子どもたちと一緒に「目玉焼体操」をするなど、賑やかな雰囲気で8年半の歴史に幕を下ろした。
『目玉焼』終了の翌週からの福島放送の同時間帯は、『秘湯ロマン』と『渡辺篤史の建もの探訪』の遅れネットに変わり、週末朝のローカル情報番組の歴史は途絶えた。
メインキャスターを務めた奥山美香は、平日夕方の『ふくしまスーパーJチャンネル』で料理コーナー「グルメ塾」を担当。その後、結婚に伴い「織田美香」に改姓し、出産のため退社するまでKFBで活躍した。
同じくメインキャスターを務めた池田速人は、『ふくしまスーパーJチャンネル』のリポーターなどを経て、2000年4月からは寺尾克彦に代わって『Jチャンネル』のメインキャスターに就任。2017年まで担当した。アナウンサーとしては2021年3月まで活動。同年4月からは福島放送いわき支社に異動となり、2021年12月現在はいわき支社長を務めている。
「お天気おじさん」として全期間にわたって出演した鹿野浩司は、2021年に放送されたKFB開局40周年記念特番で23年ぶりに福島放送に登場。その時点で79歳となった鹿野は、日本気象協会を退職後、山形市内で悠々自適の生活を送っていると近況が伝えられた。本業の気象予報とは離れたことにも挑んだ『目玉焼』は楽しかったと振り返り、現在も当時の出演者・スタッフたちと撮った写真や、番組400回記念で贈呈された楯などを大切に保管しているという。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
【2023年7月31日公開】
【2023年8月3日加筆】