『輝いて…土曜日』放送リスト
福島中央テレビ(FCT)『輝いて…土曜日』
1993年4月3日~12月25日に福島中央テレビ(FCT)で放送された週末の情報番組。放送時間は毎週土曜日17時10分~18時。
同時間帯に放送されていた『プラス1ふくしま土曜ワイド』に代わって登場した情報番組である。
出演者はFCTアナウンサーの徳光雅英と鈴木美津子。
徳光は前番組『プラス1ふくしま土曜ワイド』からの続投で、この番組で初めてメインを担当した。
鈴木は、1992年4月にFCTに入社し当時2年目のアナウンサー。のちに退社し、「大場美津子」名義で『たてながHAMA大国ナイト』(テレビ神奈川)や『読売新聞 は~い朝刊』のキャスターを務めた。
番組としては、報道色の強かった『プラス1ふくしま土曜ワイド』からややバラエティ寄りに仕立てた情報番組で、福島県内のあらゆる物事の始まりを取り上げた「ふくしまはじめて物語」や、1995年に開催を控えていた第50回国民体育大会(ふくしま国体)を目指す人々を追った「ふくしま国体への道」、その他「漢字って、こんなカンジ」「うまいもんパレード」「ライブNOW」「なるほどものしりDATA」といったコーナーで構成されていた。
この番組の特筆すべきエピソードといえば、何といっても当時人気絶頂だったとんねるずが出演したことであろう。これについては【備考】を参照。
第1回:1993年4月3日「近くてちかーい国韓国福島はじめて物語」
驚き、疑問にスポットを当て、今を全面に打ち出したバラエティー番組。きょうの特集は福島空港発韓国便。キャスターは徳光雅英と鈴木美津子。
第2回:1993年4月10日(14時~14時50分)「初めて物語元祖公園▷桜の季節限定懐石料理」
第3回:1993年4月17日「インライン・スケート▷飛行機はじめて物語」
日本に上陸以来、若者の間で人気の「インライン・スケート」を特集で。はじめて物語は、ライト兄弟よりも前に、飛行機開発に挑戦した男たちを紹介。
第4回:1993年4月24日「▷連休はディズニーで▷モモ栽培のはじまり」
スケールアップした東京ディズニーランドを紹介。はじめて物語はふくしまの果樹栽培の歴史を。
第5回:1993年5月1日「▷今パチンコが面白い▷英語で料理ステーキ」
若い女性にまでファンが広まったパチンコ人気の秘密を探る。
第6回:1993年5月8日「▷あの白虎隊士も給食を▷連休の疲れをとる」
第7回:1993年5月15日「浜は初夏の味▷ふくしま、すもうのはじまり」
初ガツオ、ウニ、アワビなど、浜の初夏の味を紹介。はじめて物語は、相撲の始まり。また、きょう開幕するJリーグのグッズを扱うお店も紹介する。
第8回:1993年5月22日「▷福岡長崎の旅▷県議会はじめて物語」
福島空港から行く福岡、長崎の旅を特集で。ふくしまはじめて物語は県議会のはじめてを取材。
第9回:1993年5月29日「▷ふくしまのプールのはじまり▷とうふ料理」
第10回:1993年6月5日(14時~14時50分)「特集中国の健康法気功▷コンニャク料理」
さわやかな味覚を求めて矢祭町のこんにゃく料理を紹介する。
第11回:1993年6月12日(14時~14時50分)「▷とんねるず中継リポーターとして出演」
とんねるずが、中継リポーターとして登場する。特集は、カニ殻に含まれ、健康、医療として注目をあびている、キチンキトサンを紹介。
第12回:1993年6月19日「▷ビールを飲んだ会津武士▷中継ビール園 ほか」
第13回:1993年6月26日「▷週末は競馬へ行こう▷競馬はじめて物語」
十九日に福島競馬が開幕した。初めて行く人のための競馬場ガイドを特集する。ほかに福島競馬のはじめて物語、知って得する金利完全自由化などを紹介していく。
第14回:1993年7月3日「三春町ハーブアイランドから中継」
三春町ハーブアイランドから中継。ハーブの楽しみ方のあれこれを伝える。
第15回:1993年7月10日「現代人のリラクゼーション気功を紹介」
現代人のためのリラクゼーション「気功」を紹介。夏バテなど、気力体力が減退ぎみの人におすすめの体操を取り上げる。
第16回:1993年7月17日「夏休みは岩手はいかが▷東北本線のはじめて」
夏休みを前に、輝いて旅情報では岩手県の自然を。「ふくしまはじめて物語」は明治二十年、上野~郡山間に開業した東北本線のはじまりを紹介。
第17回:1993年7月24日「二本松に新名所ふるさと村▷病院のはじまり」
二本松市に、先週オープンした安達ヶ原ふるさと村を中継。ふくしまはじめて物語は、病院のはじまりを紹介する。
第18回:1993年7月31日「▷日本最大級のオートキャンプを常葉町から」
常葉町できょうから三日間行われる日本最大級のキャンプイベント「スターキャンプグラウンズ」の模様を中継で伝え、オートキャンプの魅力を探る。
第19回:1993年8月7日「韓国特集・ヤングフライトコーリアより」
ヤングフライトコーリアに参加した子供たちの目を通して見た、韓国を特集。
第20回:1993年8月14日「パラオの旅サマーフェスティバルインなみえ」
視聴者リポーターによるパラオの旅を紹介。中継は、「サマーフェスティバルインなみえ93」の会場から。
第21回:1993年8月21日「▷パラオ名物海&珍味▷中継24時間テレビ」
第22回:1993年8月28日(14時~14時50分)「福島の歴史再発見雑賀孫一郎▷気功」
第23回:1993年9月4日「▷会津の大地震の記録▷中継温泉の新名所」
第24回:1993年9月11日「▷北海道グルメ旅▷白河藩にいた長寿日本一」
グルメにはたまらない北海道の味をリポート。「はじめて物語」は、白河藩にいた長寿日本一を紹介。
第25回:1993年9月18日「日本最古の自転車から最新自転車まで」
第26回:1993年9月25日「必見・マツタケとサンマのお得な情報」
第27回:1993年10月2日「激辛ラーメン▷日本初自動車専用道は福島に」
舌への刺激が決め手の激辛ラーメンを紹介。「はじめて物語」は、白河―棚倉間にあった日本初の自動車専用道路をリポートする。
第28回:1993年10月9日「▷遊味芸・ふくしまの秋▷福島初の五輪選手」
第29回:1993年10月16日「▷おもしろペット▷現代結婚費用事情」
番組で募集した、おもしろペットの特集をおくる。なるほどものしりDATAでは、気になる結婚費用の金額を探る。
第30回:1993年10月23日「▷ケーキ特集▷気功▷東京モーターショー」
第31回:1993年10月30日「秋の夜の過ごし方ディスコに潜入&天体観測」
秋の夜の過ごし方を提案。最近過熱ぎみのディスコに潜入リポート。
第32回:1993年11月6日「小説の舞台になった福島▷海外旅行の初めて」
第33回:1993年11月13日「▷古くて新しい漆器の魅力▷腰痛にきく気功」
第34回:1993年11月20日(15時30分~16時20分)「日本の湯"銭湯"」
時代の波に押され、減少する昔ながらの銭湯。その現況と良さを探る。
第35回:1993年11月27日「健康食みそを探る▷ロールキャベツみそ風味」
日本の味みそは健康食としても優れている。その効果を探り、みそを使った料理を紹介する。
第36回:1993年12月4日「▷お歳暮アラカルト▷日本酒と料理の相性」
第37回:1993年12月11日「▷交響曲第9番の初演は▷あなたもおでん通」
第38回:1993年12月18日「▷あったか鍋対決▷肩こりと胃もたれのツボ」
第39回(最終回):1993年12月25日「お寺の鐘のはじまり▷お節料理プラス1」
【備考】
第3回ではインラインスケートの特集を行っているが、FCTはそれから間もない6月6日に郡山スケート場で第1回インラインスケート競技会を開催している。この回の特集はこれに合わせたものだろう。なお、競技会の模様は特番として全国10局ネットで放送された(FCTでは6月20日12時から放送)。
第11回には、とんねるずが中継リポーターとして出演した。これは、日本テレビ『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』で行われていた「編成教育委員会」のコーナー(テレビ局の編成・制作スタッフの常識や知識を教育し直すいうもの。1993年5月5日放送分)に、『輝いて…土曜日』を担当するFCTのディレクター斎藤裕樹が出場。日本テレビ系列各局のスタッフとクイズで争った結果、斎藤が見事優勝し、その特典であった「とんねるずが優勝者の所属する地方局の番組に出演する」という権利を得たことに端を発する。
この模様は、1993年6月23日の『生ダラ』で「視聴率請け負い人in福島」と題して全国に放送された。以下で記す当日の模様は、ここで放送された内容を元にしてる。
放送当日、新幹線で郡山を訪れたとんねるずは、郡山駅に詰めかけた大勢のファンの歓声に出迎えられた。駅前広場で歓迎セレモニーも予定されていたが、パニック寸前の状況となったため中止となり、2人はそのままFCT入り。ここでも多くの市民やFCT社員たちの熱烈な歓迎を受ける。本社での打ち合わせ(ここでは同行したそのまんま東(現:東国原英夫)から「内容が大変地味。数字は取れるのか?」、木梨憲武からは「台本の読み合わせなんて倉本聰さんのドラマ(注:日本テレビで1990年に放送された『火の用心』のこと)以来」といった声が飛び出した)を経て、中継を行う市内の開成山公園に移動した。
とんねるずは事前に視聴者に対して「フライパンを持って集まれ」と呼びかけていた。その結果、開成山公園にはフライパンを持った視聴者が集結(『生ダラ』での発表によればその数は2万人)。「市内の金物店からフライパンが消えた」という噂が流れるほど(とんねるずを迎えたFCT副社長(当時)の近藤晃朗の発言によると、実際に市内の小売店から「フライパンが全部売り切れた」という電話がFCTに入ったという)の事態となった。なお、なぜフライパンだったのかについては、『生ダラ』の中で福澤朗に理由を問われたもののはぐらかしており、特に意味はなかったようである。
とんねるずが当日番組内で担当したのは「オープニング」「ライブNOW」「天気予報」の3コーナー。
オープニングでは、石橋貴明が『輝いて…土曜日』のOP曲(フォー・シーズンズ「シェリー」)をふざけて歌い、木梨は「砧公園に来ています」とボケるなど、普段のとんねるずのノリ全開でスタート。
メインの「ライブNOW」では、安積女子高校(現:安積黎明高校)の合唱部と共演。「夏の思い出」を歌う合唱部員を背に、『ゆく年くる年』コントを織り交ぜつつ顧問や部員にインタビュー(ふざけた素人イジりが多いが、「全国大会への抱負」のような真面目な質問も一応している)した。最後は観衆の集まるステージに移動した木梨が「ガッチャマンの歌」を歌ったところで中継終了。スタジオにいる徳光と鈴木の困惑した表情を映し、番組はCMとなった。コーナーを終えた石橋は「MCの2人は呆れ返ってるよ。(ワイプで)嫌がってたもん」と苦笑したが、CM中のスタジオでは、石橋の言葉通り徳光と鈴木が呆れ返っていた。
最後の「天気予報」は、ステージで石橋が「デビルタカマンの歌」を歌う隣で、木梨がフリップを持って予報を叫ぶ『歌う天気予報』という趣向で行われた。開成山公園は大歓声に包まれたが、その熱狂ぶりに「天気予報が全然耳に入らなかった…」ということで、改めてスタジオから天気予報を伝えた。その間も会場ではフライパンを振りながら「WE ARE THE CHAMP」の替え歌を全員で歌う大騒ぎが続いた。
最後はそんな会場の様子を見ながら、スタジオの徳光が「24時間テレビでもこんなに(観客は)集まらない」「黙って見るしかない…」と感想を述べたところでエンドマーク。約1時間にわたるとんねるずの『輝いて…土曜日』出演は終了し、ステージを降りた2人は次の仕事のためそのまま東京へと帰っていった。
当時『輝いて…土曜日』の視聴率は平均5.7%、最高6.0%であった。とんねるずはこれを2桁まで押し上げると豪語した。具体的な数字は不明だが、実際にこの回の視聴率は通常よりもかなり上がったという。
なお、徳光の後年の回想によると「『編成教育委員会』の企画でとんねるずが出演した各局の番組は、すべてその次のクールで終了となった」とされる。この『輝いて…土曜日』も例外ではなく、直後ではないものの、その年の内に番組終了となった。ただし、これは単に視聴率的な問題でもなく、翌1994年にスタートする『ゴジてれシャトル』の準備期間を設けるための打ち切りでもあったという。
ちなみに、とんねるずが出演した第11回と、その前週の第10回は、通常とは異なる時間帯に放送されている。これは、15時からJリーグ中継(ヴェルディ川崎戦)が編成されており、その中継の延長を見込んで『輝いて…土曜日』の放送時間を繰り上げたためである。通常『輝いて…土曜日』が放送されている17時台は、日本テレビが当時同時間帯に放送していた『ヒューヒュー』を臨時でネットした。
『輝いて…土曜日』の終了をもって、『いきなりBAN・BANのっTV』から続いたFCTの土曜夕方のローカル情報番組は一旦中断。年が明けた1994年1月15日からの同時間帯は、日本テレビ『TVおじゃマンボウ』の同時ネットに替わった。
その後、1999年4月3日に『おじゃマンボウ』を打ち切ってスタートさせた『ギュ~っとゴジてれ!土曜版』(土曜16時55分~17時56分、のちに『ゴジてれ土曜版』に改題)で、FCTの土曜夕方のローカル情報番組は復活する。この番組は、平日夕方の情報番組『ゴジてれシャトル』のダイジェスト番組で、その週の『ゴジてれ』で放送した特集・コーナーの再放送に、『土曜版』オリジナルのコーナーを織り交ぜて放送した。2023年現在、日曜夕方に放送している『ゴジてれ×Sun!』の前身にあたる番組である。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『FCT写真で綴る30年』(2000年、福島中央テレビ)
・『月刊とうほく財界』第18巻第6号(1992年11月、東日本出版)
・福島中央テレビ公式ウェブサイト 徳光雅英アナウンサー日記(2008年1月28日分、ウェイバックマシン、2023年8月11日閲覧、http://web.archive.org/web/20150924011151/http://www.fct.co.jp/announce/diary/tokumitsu/backnumber_33.html)
【2023年8月11日公開】
【2023年8月12日加筆】