『あいうえお天気目玉焼』1990年度放送リスト
福島放送(KFB)『あいうえお天気目玉焼』
1990年4月7日~1998年9月26日に福島放送(KFB)で放送された週末の情報番組。番組開始当初の放送時間は毎週土曜日の7時30分~8時。
メインキャスターはフリーアナウンサーの羽藤淳子。前番組『小玉みい子の朝はいきいき!!』のリポーターから昇格した。羽藤は会津若松市出身で、東京や福島県内を転々とした後、郡山市で育った。福島県立郡山女子高校(現:福島県立郡山東高校)で放送部に所属し、部の活動や同部OGであった『ズームイン!!朝!』の福島キャスター・宗方和子との交流の中でアナウンサーを志す。高校卒業を前に、自ら履歴書を手に地元の各放送局を訪問するも、のちに活躍の場とするKFBを含め、どこからも採用されることはなかった。一度は父の紹介で広告代理店に就職するが、アナウンサーの夢を諦めきれずに退職。東京の専門学校への進学を目指していた中、知人に知らされて応募したNHK福島放送局の番組アシスタントのオーディションに合格。念願のアナウンサーデビューを果たした。NHKとの契約は1年で終了するものの、NHKで契約キャスターを務めたという「実績」が功を奏し、NHKを離れて3ヶ月後の1986年7月、KFBで新たにスタートする情報番組のリポーターに採用された。これが前述の『小玉みい子の朝はいきいき!!』である。その後は1998年10月に『ふくしまスーパーJチャンネル』のメインキャスターを降板するまで、永くKFBで活躍した。
サブキャスターはKFBアナウンサー(当時)の寺尾克彦。番組がスタートした1990年4月に入社したばかりの新人アナウンサーであった。入社を前にKFB本社に呼び出された寺尾は、そこでいきなり新番組を担当することを告げられた。事態を飲み込めないまま郡山市郊外にある逢瀬公園まで連れ出されると、そこでスタッフにカメラの前に立たされ、「朝といえば何?」と問われた。これに対して「ラジオ体操」とぎこちない会話とアクションで答えた寺尾。このやり取りを見た何人かのKFB社員からは若手のお笑い芸人と勘違いされてしまったと、寺尾は後に社史『福島放送の20年』に寄せた文章で振り返っている。
番組の要である「天気」を伝えるキャスターには、日本気象協会山形支部所属(当時)の鹿野浩司が就いた。鹿野はこれ以前にも、1986年10月から宮城県の東日本放送(KHB)で放送されていたお天気情報番組『あした天気にナァ~れ』にお天気キャスターとして出演しており、テレビの現場は経験していた。天気の専門家としての起用であったが、山形弁で明るく、時折毒舌も振るう鹿野のキャラクターは視聴者の好評を呼び、次第に天気以外の企画にも参加するようになった。こうした展開に対し鹿野自身は難色を示すどころか、むしろ職員の天気以外への関与に乗り気ではなかった気象協会側を自ら説得するなど、番組の盛り上がりに大いに貢献した。
中継リポーターは宮田真弓。当時KFB入社2年目のアナウンサーである。
ここでは、1990年度放送分についてまとめている。なお、番組の見どころは、『福島民報』においては放送前日(金曜日)のラ・テ欄に「明朝の見もの」として記載されている。
第1回:1990年4月7日「春だ桜だ情報満載」
第2回:1990年4月14日「一時雨時々雨どう違う」
第3回:1990年4月21日「風はどこから来るの?」
「お天気すくーる」、今回は「風はどこからやってくる」と題して。A-SAT中継は「土湯の春」をリポート。
第4回:1990年4月28日「ボタンもみごろ春らん漫」
「お天気すくーる」は「雲はなぜできるか」について、お天気博士鹿野さんが分かりやすく解説。
第5回:1990年5月5日「五月晴れ3000匹のこいのぼり」
こどもの日にピッタリ、大空に泳ぐ三千匹のこいのぼりを保原町からリポート。
第6回:1990年5月12日「お天気当てる食虫植物」
「お天気名人」は、福島市の宍戸勝博さんが登場。また、石川町のグリーンアカデミーCCからゴルフ場の朝の様子を中継。
第7回:1990年5月19日「新鮮いわきの初ガツオ」
いわき市の薄磯海岸から初夏の海の表情としゅんの味をリポートする。また、「お天気すくーる」は、真夏と温度比較など薄暑がテーマ。
第8回:1990年5月26日「朝からモー、岩瀬牧場」
「お天気すくーる」は、梅雨はなぜあるのかをわかりやすく解説。また、岩瀬牧場からは牛の放牧の模様を中継。
第9回:1990年6月2日「新緑鮮やか裏磐梯高原」
「お天気名人」は、喜多方の「山中せんべい」の職人、荒沢さん。中継は、新緑の裏磐梯のキャンプ場から。
第10回:1990年6月9日「つゆはなぜ梅の雨なの」
第11回:1990年6月16日「今が旬飯坂サクランボ」
第12回:1990年6月23日「原町に30万本のアヤメ出現?」
原町市のハートランドはらまちから、広大な敷地に咲き誇る三十万本のアヤメを紹介。「お天気すく~る」は、梅雨時に注意しなければならない生活のポイントをアドバイス。
第13回:1990年6月30日「おはよう富士山、空から拝見」
七月一日は富士山の山開き。今回は、山開き目前の富士山の朝の表情をリポート。また、柳津町の小島光恵さんのお便りから、お天気が分かるという不思議な石「わら打石」を紹介する。
第14回:1990年7月7日「七夕祭り、小さい夏見つけた」
お天気名人は、サーフィンで翌日の天気がわかるという鹿島町の鈴木康二さん。また、会津若松市東明幼稚園の「たなばた会」も伝える。
第15回:1990年7月14日「いやな夏カゼ・湿度が犯人?」
今回の「お天気すく~る」は、意外と多い”夏風邪”と気象の関係、そして予防法を伝える。また、須賀川市の乙字ヶ滝から夏の日差しにきらめく滝の景観を中継。
第16回:1990年7月21日「降水確率の正しい見方」
「お天気すく~る」は”降水確率”について解説する。中継は、球児たちの熱戦の舞台となっている福島市のあづま球場から。
第17回:1990年7月28日「鍋の煮え方で天気がわかる?」
鍋が最初に煮え立つ位置でお天気を予想する会津坂下町の山内一三さんが登場。
第18回:1990年8月4日「夏だ、キャンプだ・海水浴場」
「お天気すく~る」は、昼と夜とで風の向きが変わる不思議な現象”風の交代”について解説。「お天気名人」は、高郷村の須藤三郎さん。
第19回:1990年8月11日「激突、流しそうめんVS甲子園」
福島市佐原の吾妻庵から”納涼流しそーめん大作戦”の模様を中継。また、朝八時から長崎海星と対戦する日大東北高校の表情を甲子園から伝える。
第20回:1990年8月18日「徹底解剖・雲と雷の謎と秘密」
「お天気すく~る」は雷の特集。雷はどうして出来るのか、雷が鳴ったらどうしたら良いのかなど雷についての雑学を伝える。
第21回:1990年8月25日「やかんの取手で天気を知る?」
今回の「お天気名人」は、会津若松の割烹「田季野」のやかんが登場。取手が熱く感じると天気がくずれると言われているそうで、さて、その理由は?
第22回:1990年9月1日「衣服と天候のビミョーな関係」
「お天気名人」は、天栄村の内山節子さん。農作業場の床の湿り具合天気を予想する。「お天気すく~る」は初秋の天気と気温について。
第23回:1990年9月8日「▷秋色・神秘の雄国沼」
中継は裏磐梯の雄国沼から。また、気になる台風の発生とその進路など解説。
第24回:1990年9月15日「秋を探して奥久慈落ちアユ」
東白川郡矢祭町から、今が最盛期落ちアユのヤナ漁の模様を中継。また、梅雨時よりも雨量が多い秋の長雨について解説する。
第25回:1990年9月22日「夏と冬昼間の長さはなぜ違う」
今回は秋分の日にちなんで「日の長さはどうして違うの?」という疑問に答える。また、たわわに実った稲の刈り取りの模様を中継で伝える。
第26回:1990年9月29日「駒止湿原の秋・紅葉第1弾」
”お天気すく~る”は、雨の降り方で雨量を知る簡単な方法を教える。中継は田島町の駒止湿原からひと足早い紅葉を紹介。
第27回:1990年10月6日(スペシャル、7時~8時)「▷秋だ、行楽穴場情報満載▷大激論、海VS山」
「秋だ!そよかぜ!!旅ごころ!!」をテーマに、安達太良山頂と浪江町・泉田川河口からの二元中継など、情報盛りだくさんの一時間。
第28回:1990年10月13日「台風はなぜ出来るの?」
耶麻郡塩川町から秋風にふわりと浮かぶ熱気球を中継で。また「台風はなぜ出来るの」をわかりやすく解説する。
第29回:1990年10月20日「信夫山の霧でお天気を予想」
朝晩の冷え込みが身にしみる季節となったが、晴れた日とくもりの日では寒い時間帯が変わってくる。その違いと理由をわかりやすく解説。
第30回:1990年10月27日「天気名人、三把結いって何?」
お天気名人は二本松市の国分逸作さんが登場。また、猪苗代町・リステル猪苗代からスキーシーズンに備えて、ウオータージャンプ台でトレーニングする姿を伝える。
第31回:1990年11月3日「文化の日はなぜ晴れる」
なぜかこの日は毎年天気が良いという「天気の特異日」について解説する。
第32回:1990年11月10日「ごはんで天気を知る?」
今回のお天気名人は安達太良山のくろがね小屋で三十年あまりも管理人を務めた二本松市の二瓶義松さんが登場。また、棚倉町の八溝渓谷から紅葉中継。
第33回:1990年11月17日「お天気がわかる熱帯魚」
今回のお天気名人は、体の色が変わると天気が崩れるという特技の持ち主、熱帯魚のマクロス君が登場。
第34回:1990年11月24日「塩屋崎灯台で天気がわかる?」
今回のお天気名人は、番組開始以来最年少、四倉町の中村仁一さんが登場。四倉港から見える塩屋埼灯台の遠近感でお天気を予想する。
第35回:1990年12月1日「あとが楽しみ、羊の里親制度」
第36回:1990年12月8日「冬の花シクラメン出荷最盛期」
第37回:1990年12月15日「歳末の朝・青果市場は大繁盛」
今回は年末年始を間近に控え慌ただしい動きをみせる郡山卸売市場から、気になる生鮮食品の値段をリポート。
第38回:1990年12月22日「冬の大敵、水道凍結を退治」
お天気名人は、郡山市の斎藤誠さん。唐人だこ作りの名人の斎藤さんは、お天気に関しても名人。特殊な絵の具の乾き方で明日の天気を占う。
第39回:1990年12月29日(スペシャル、7時~8時)「▷来年のお天気は?▷もうすぐ出番、羊くん」
第40回:1991年1月12日「いま盛り・立子山しみ豆腐」
今回のお天気名人は、福島市の甘納豆屋「うろこや」の川口裕美子さんが登場。朝作った甘納豆の出来具合でお天気を占う。
第41回:1991年1月19日「不思議どうして雪は白いの?」
今回は裏磐梯の冬景色をたっぷりと中継で伝える。
第42回:1991年1月26日「日本初登場くつスキーに挑戦」
お天気名人は、ノリの焼き上がり具合でお天気を予想する郡山市の伊丹喜三男さんが登場。
第43回:1991年2月2日「あなたの体でも天気が分かる」
第44回:1991年2月9日「注意・スギ花粉・その対策は」
第45回:1991年2月16日「春一番ってどんな風?」
冬の海から春の海へ、その姿を変えつつあるいわき市薄磯海岸から中継。また、この季節耳にする”春一番”についてわかりやすく説明する。
第46回:1991年2月23日「エッ?2月にイチゴ狩り」
寒い二月にいちご狩りが出来る。二十四日からいちご狩りが楽しめる相馬市松川浦の観光いちご園から中継。
第47回:1991年3月2日「ほんわか園児たちのひな人形」
第48回:1991年3月9日「最新鋭降水確率予報の秘密」
今回のお天気名人は、天栄村の馬場吉之助さんが登場。また「降水確率のだし方」をわかりやすく解説する。
第49回:1991年3月16日「かれん春待つ小川ネコヤナギ」
水ぬるむ小川のほとりの”ねこやなぎ”。今回は、小さな春を届ける。今週のお天気名人は、福島市の河野金次郎さんが登場。
第50回:1991年3月23日「春が来た?一足お先に桜満開」
卒業のシーズンになると必ず花を咲かせるいわき市の湯本第一小学校のヒガンザクラを中継で紹介。
第51回:1991年3月30日(『目玉焼』最終回)「古代村に春・歴史の峠探訪」
中通りと会津地方をわける郡山市の三森峠。標高八百メートルあまりの三森峠の春を中継。お天気名人は福島市飯坂の永井之雄さんの登場。
【備考】
第1回のオープニングでは、羽藤淳子に自己紹介を振られた寺尾克彦が、突如羽藤に向けて隠していた鉄砲を発射。困惑する羽藤に対し、「鳩に豆鉄砲、羽藤に豆鉄砲」と返すという一幕があった。羽藤曰く「打ち合わせになかったでしょ」。寺尾自身は『福島放送の20年』で「これでアナウンサーとしてのキャラクターが決まった」と述べているほか、鹿野浩司は2021年に放送されたKFB開局40周年記念特番でこの行動に代表される当時の寺尾の言動について「新人のくせに態度がでかかった」と振り返っている。
第1回では中継に使用するA・SAT車(SNG車)が紹介されている。KFBのA・SAT車は1989年7月に完成したもの。この時点ではKFB本社に受信設備がなく、衛星からの映像は一度東京のテレビ朝日に送られ、そこからマイクロ回線でKFBに送られていた。KFB本社のSNG固定局が稼働したのは1990年4月23日のことで、『目玉焼』の第3回までの中継映像は東京を経由して送られたものであった。
第31回が放送された1990年11月3日、KFBでは会津支社(会津若松市上町のセンチュリーホテル内に所在)の屋上に初めて情報カメラを設置した。当時、KFBはテレビ朝日系列局の中で唯一情報カメラを整備していない放送局であり、生の空模様の映像が必要になると、その都度郡山市のKFB本社屋上にカメラを担ぎ上げて撮影していた。カメラが映し出す景色は本社前を通るうねめ通りの街並みや本社の背後に広がる住宅街ばかりで、遠く離れた会津や浜通りはもちろん、県庁所在地の福島市でさえ、生でその様子を放送することは不可能だったのである。この会津支社の情報カメラがKFBの情報カメラ第1号となり、これ以降は『目玉焼』でも、鶴ヶ城をはじめとした会津若松の生の映像がいつでも放送できるようになった。
なお、郡山市への情報カメラ設置(郡山駅前・ビッグアイ屋上)は、『目玉焼』の終了から2年半が経過した2001年4月のことである。『目玉焼』では番組終了まで、KFB本社屋上から捉えたうねめ通りや住宅街の映像が「郡山の朝の表情」として映し出され続けた。
第27回のスペシャル版は、当時の番宣映像によると、宮田真弓が安達太良山、寺尾克彦が浪江町に出向いて放送された模様。この番宣映像で寺尾は「かわいいかわいい寺尾くん」と呼ばれており、当時の寺尾のキャラクターが窺える。
第51回の放送をもって『あいうえお天気目玉焼』のタイトルでの放送は終了。1991年4月からは放送時間を30分拡大し、『あいうえお天気目玉焼Lサイズ』のタイトルにリニューアルした。
【参考文献】
・『福島民報』朝刊各号(国立国会図書館東京本館所蔵マイクロフィルム)
・『2000年の東日本放送 写真でたどるKHBの25年』(2001年、東日本放送)
・『財界ふくしま』第27巻第5号(1998年4月、株式会社財界)
・『月刊民放』第27巻12号(1997年12月、日本民間放送連盟)
・第537回花ホテル講演会(動画、2023年4月11日閲覧、https://www.youtube.com/watch?v=ViTWYZWqz7s)
【2023年4月11日公開】
【2023年5月18日一部改稿】
【2023年8月3日加筆】